天空団地_404

The words we give to others are often the ones we most need to hear ourselves.

負の感情と意志

処理するタスクがなくて、「自分とは一体何者なのだろう?」と考え始め、気鬱になることがある。自分洞察という言葉は魅力的だけれど、自分についてあれこれ考えすぎることは、常に私を危険な迷路に迷い込ませる。

自分自身を問いつめても、見えてくるのは決まって自分の欠点や足りない部分ばかり。不安や焦りが募り、ネガティブな感情のループから抜け出せなくなる。「もっとこうだったら…」という後悔は、心をすり減らすだけで、建設的な答えはどこにもない。まさに「考えても堂々巡り」だ。

では、どうすればいいのだろう。答えはきっとシンプルで、「考えない」こと。頭の中だけでこねくり回すのをやめ、意識を外に向けてみる。好きな音楽を聴きながら掃除をしたり、普段縁のない分野のテキストを読んだり。そんな風に、心を「今、ここ」の体験で満たしていくしかない。

自分について、特に自分の気分や感情について考えるのは本当に無駄。特に己の負の感情に理性で折り合いをつけようとすることは時間の浪費でしかない。気分や感情の基本構造は「負」である。人はその負を解消するために思考し行動する。そうすることによって生を存続させている。しかし、その仕組みに隷属してはダメだ。隷属していることに気づかないで、それを人生だと考えている人のことを「不幸」と名づけてもいい。

悲観主義は感情からくるもの、楽観主義は意思からくるもの。ただ気分のおもむくままに生きている人はみんな悲しい。いや、悲しいという言葉では弱すぎる。なぜならそういう人はやがて怒り、激怒するから。

結局のところ、よい感情というものはない。感情は、正確に言うと、きまって悪いものである。だから幸せはすべて、意志と克己心とから生まれる。