Graham Coxon

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もちろんこんな色男ではないが、若いときの自分のセルフイメージに近いというだけて゛ずっと好感度が高いミュージシャンだ。同い年だし。出す音の質感も好きだ。

Golden D

Golden D

活力が乏しいときの最善手

活力がない。

もともとない。さらに減った。枯渇したといってもよい。

暑くなったり、寒くなったり、晴れたり、曇ったり、湿気たり、乾いたり、天候が定まらないのも理由だ。おなじことは書きたくないので省くが、それ以外の要因との合わせ技で、無気力状態が続いている。

こういうときは「活力溢れる人と交流する」これが一番効く。しかし、周りに元気な人がいない。探してもいない。次の手段は「強制的に体を動かし汗をかく」これが良いが、半端にフィットネスクラブを始めたので、小一時間ぐらいの運動では疲れるだけで、リフレッシュしにくくなった。とはいえ今思いつく手段はこれしかないので、おもい腰を上げ昨晩は(かなり無理矢理)汗をかいた。・・・逆効果だった。今日はさらに気分が悪い。

「社会活動参加作戦」を考えている。しかし、なかなか良い入り口が見つからない。妙に政治的な、もしくは宗教的な、もしくは定年退職後の互助会的な活動しか引っかからない。この方面で顔が広い尊敬しているヨガ師匠に聞くのが確かだろうが、師匠の紹介となると、肌に合わなくても簡単には辞められそうもなく躊躇う。我が儘だ、我ながら。

仕事の成果にレバレッジがかかり、頑張れば収入がグワンと伸びるのであれば、意欲を刺激することもできるだろうが、仕組み的に正比例でしか収入が増えないので、意欲が湧かない。これも我が儘にすぎない(わかっている)

活力が乏しいときの最善手は何だろうか。

  • より気が塞がないように、とりあえず身辺を清潔にする。
  • 無理に自分を元気づけないで、ひたすらボンヤリする。
  • 観ても・読んでも・聴いてもつまらないなら、インプットを意図的に絶つ。
  • 断食
  • マインドフルネスのまねごと

このあたりだろうか

社会学が未だによくわからない

某大学の社会学部卒だ。卒業しながら、未だに社会学に対する違和感と不信感が拭えない。当時(今もかもしれない)社会学の学問的存在意義に関する説明で頻繁に参照されていたのが「デュルケームの自殺論」だ。個々の主観を超えて統計的に社会を俯瞰すれば「客観的な真理が明らかになる」というのが、社会学の立脚点だとされてきた。

社会学者、査読論文出してなくても教授になれるし、招待論文(依頼論文のこと?)があれば査読論文無しでも良いらしい問題(いろいろ追記有り) - Togetter

統計を恣意的に扱うことの問題点については、さんざん議論されてきた。にもかかわらず、問題の本質はなんら解決されずに、社会学という学問分野で飯を食う大学教授・助教授・教員だけが増える結果になった。

僕が教えを請うた教授や講義内容に感心した教授・助教授たち、あれから30年近く経っても彼らの社会的な知名度は上がらず、商業出版さえできずに馬齢を重ねた。社会学部という小さなコミュニティで、学問ごっこをやっているとしかみえない状況で、ここまで来てしまった。お世話になっていながら、こんなこというのも何だが、あんなのが学部長って冗談かなともおもう。

結局このフィールドから出た最大のヒーローが、宮台真司だというところに、社会学の限界が顕れている。さすがに宮台教授の知見には感服するところも多いけれども、何だかなぁと感じるところも同じぐらいある。

個々人の主観とは一歩距離を置いて、社会を概観するのが、社会学の本質だったはずだ。しかし、今キズナアイで盛り上がっているように、社会学教授を名乗りながら、主観剥き出しの権威主義者が偉そうにしている時点で、学問としては既に終わっている。

自殺論 (中公文庫)

自殺論 (中公文庫)

反社会学講座 (ちくま文庫)

反社会学講座 (ちくま文庫)

グレゴリオ聖歌

グレゴリオ聖歌は現存する最古の旋律といわれている。中世ヨーロッパの教会から永らく歌い継がれてきたものだ。歌詞は全て聖書の引用だ。作曲者は不明。自然発生的にできた流れるような優しい旋律に癒やされる、それでいて崇高な感慨を万人にもたらす。

基本的に和声の概念の無い時代につくられたモノフォニーだ。しかし、このアルバムのように、あとから和声を添えて、音楽の感動をより深めたディスクも多数発売されている。ヨーロッパ人の原風景ともいえるサウンドだ。

詳しくはないが、バロック以前の初期クラシック音楽がわりと好きだ。作曲家の自我がなく、純音楽的で素朴な世界に癒してもらっている。教会の空間こみで完成する音楽なので、録音がよいものが多いのも嬉しい。

中世音楽の精神史: グレゴリオ聖歌からルネサンス音楽へ (河出文庫)

中世音楽の精神史: グレゴリオ聖歌からルネサンス音楽へ (河出文庫)

怒りは人間を壊す

怒りというのには麻薬と似たところがあって、その衝動に従うことにはある種の「気持ちよさ」と依存性があるんだけど、それをやり続けていると人間は壊れてくるんだよね。

久しく怒る対象がなかったが、盆の法要で俺を邪険にした叔父に対する怒りが鎮火しない。客観的に考えれば不義理をしたのはこっちだから、叔父は悪くない。その理屈と主観的な邪念がフリクションをおこしすぎた。

仕事に対してネガティブになるし、週三で通えていたフィットネスクラブが週一になるし、その影響でメンタルも体調も悪化した。涼しくなっただけなのに体感的に寒い。

ネガティブな感情を相殺するためにポジティブな体験が必要だ。長年申し込み寸前で躊躇っていたボランティア活動に参加しようかな。仕事をちゃんとこなすだけでは、社会に対する負い目を相殺しきれなくなってきた。行動をともなった献身体験を積まないと、人として本当に壊れてしまいそうだから。