天空団地_404

The future starts today, not tomorrow.

神無月朔日雑記2026

9月の仕事

受注が少なすぎて焦燥するようなことはほぼ無かったのはよかった。ただ売上のコアとなる単価の高い仕事がなかった。シルバーウィークも換算すると例年の9月通り低い水準になりそうだ。良かったことといえば、潜在発注力の高そうな既存顧客らの注文が大幅に増えたことだ。一方、長年の高単価顧客が一つどうやら他社に変更したか、広告戦略を変えたのか、切れてしまったようで悲しい。何事にも終わりはあるから

AI進捗

9月は知識が大幅に増えた。あとは実務に生かす方向で実装していかなければならない。やっと「業務用ブログ用のChatGPT Skills」の設定が終わったので、繰り返し使って身体化させたい。

10月のイベント

第三週に固めてある。南港のビートルズストリートは春とは打って変わって、撮影したいグループがたくさん出るので楽しみだ。17日の上京はまだ決めかねているが、チケットが売り切れていそうで、それはそれで諦めがつくけど、一方で行きたい気持ちも強い。行くとしたら節約のために帰路は夜行バスになりそうだが、そろそろしんどい。

10月の仕事

例年10月・11月・12月は最大の稼ぎ時だ。せめて昨年並みの売上は維持したい。この三ヶ月が前年比でどうなるかが、稼業の持続可能性の大きな指針になりそうだ。

駆使力を身につけるAI活用術

現在のマイブームは間違いなく「AIを弄くって遊ぶ」だ。知りたいことを壁打ちして知識を深めたり、音声認識の精度を試してみたり、様々な画像生成を試してみたり、Excelファイルの改変を試みたりと、あれもできる、これもできると驚いている。完全に玩具的な使い方だ。

これでは単に、AIに触れている時間が世間の平均より長いだけのオッサンにすぎない。確かにチャット機能と画像生成だけを使っていた1年前よりは、できることの幅は広がった。しかし、いろいろと目移りして娯楽として接していることが多いので、スキルが伸びない。他者との差別化に至るほどの使いこなす力が全然身についていない。

AIに限らず換金性のあるスキルというのは「繰り返し行って身体化させたもの」が一番強い。私の場合、ありとあらゆる入稿データを最適化するスキルは身体化している。個人でやりながら20年近く飯が食えているのはこのスキルがあるからだ。

多少は深化したスキルもある

noteの生地作成に使っている。Deep Search→ 一時まとめ→二次まとめ→必要な画像の生成→試行錯誤して作ったnote専用のプロンプトで仕上げる→ハルシネーションが混じっていないかを確かめる→必要な画像を検索で探して貼り付けて仕上げる

これはかなりAIを上手く使いこなせていると自負している。下記の記事はインフルエンサーにもリツイートしてもらって評価も高かった。 note.com

ワークフローは出来ているが、もっとAIに任せる範囲を広げることは出来るはずだ。note執筆のスキルを上げることは、本業の業務ブログの執筆の効率化にも繋がるはずなので、現在それを模索している。

行動と滅諦哲学

また6日も空いてしまった。

なんか、「過去や未来について無駄な思考を止める」から更に「昨日今日に不安に思ったことや愚痴りたいこと」さえテキストにするのが実は意味がないのではとさえ思い始めたのだ。

われわれは不安や苦痛や憤怒の感情こそが自我の本質だと思っているのかもしれない。しかしそれこそが大げさに言えば不幸の源泉だとはいえないか?

確かにそれらは問題を解決するために肉体と精神が生命維持のために発しているアラートには違いない。しかし、それは警報器以上の意味を持たないのではないか? その緊急事態の発動そのものを自我のコアにおいてはいないか? そしてそれがアイデンティティの根幹をなしたとして、それは何か得があるのか? 苦しさを無意味に肥大化させるだけではないのか?

本能が発するアラートには出来る範囲の対応策を実行すればよい。脳内で腐らせても自己否定に繋がるだけでいいことなんて一つもない。

没我状態で仕事をする。何かを読む観る。もっと原初的にいえば「行動」と集約することができる。なんか仏教的な滅諦哲学に近づいているみたいだけれど、これってわりと本質的な人生の「解」ではないか。

月曜の朝からこんなことを考えている。 (思考を垂れ流しているのでAIに校閲させたくなったが我慢したw)

最新作成動画

youtu.be サムネがいかにもAIだ。しかしPhotoshopで作っていたときと比べると、とにかく楽で見栄えが良いものが出来てしまうので止められない。一曲目にフックのある曲を置いたのがよかったのか、継続視聴時間の長い動画になった。フレームレートを少し前から、24fpsに変えたのだが、こっちの方が観ていてなんか安心感がある。ファイル容量も減るし、デメリットがないので今後はこれで固定にしたい。

やることのない連休 四日目

初めて音声入力でブログを書いてみた。そのまま出力しても仕方がないので、余計な要素を足さないという前提でAIに完全リライトしてもらいました。

連休も四日目に入った。予想はしていた。だが、予想が当たったところで何の慰めにもならない。やることがない。

本当なら、もう一度どこかに泊まって、見慣れない窓から朝を迎えでもすればいいのだろう。けれど外泊はついこのあいだしたばかりで、間を置かずに繰り返すのはどこか気が引ける。それにこの時期、安く泊まれる宿など、観光地を外れたビジネスホテルですらほとんど残っていない。財布と遠慮の両方に引き止められては、身動きのとりようがない。

二日目だけはライブがあった。あの日だけは、暦に確かな印がついていた。残りの日々は白紙のまま、近所をぶらりと歩き、買い物をして帰る。それで一日が終わる。話題の映画がいくつもかかっているのは知っているが、どうにも足が向かない。

昔の自分なら、と思う。これだけの時間を手渡されたら、やりたいことが両手からこぼれるほどあったはずだ。

いまの仕事はほとんどがルーチンで、たいていはあっという間に片がつく。空いた時間はパソコンの前に座り、AIを相手に実験をしたり遊んだりしている。つまり私は、平日のうちに休日を少しずつ食べてしまっているのだ。だから休みになったところで、特別にやりたいことが湧いてくるわけでもない。

やりたいことではなく、やるべきことならある。身のまわりの掃除、整理、ふだん手に取らない活字をじっくり読むこと。やろうと思えばいくらでもできる。だがそれも、平日の手の空いた隙間で済んでしまう。わざわざ休日という額縁に入れて飾るほどのものではない。

では、休日にしかできないこととは何か。突き詰めれば、どこかへ旅に出るか、誰かに会いに行くか、そのふたつくらいしかない。けれど気の向くままに行ける場所は、あらかた行き尽くした。会いたい人も思い浮かばない。

いや、声をかければ会ってくれる人はいるのかもしれない。ただ、きっと話が噛み合わない。私は年齢のわりに、いまだにAIをいじり、時事の話題を掘り下げては面白がっている。同じくらいの年の知人たちは、もうそういう話にはあまり乗ってこない。向こうが立ち止まったのか、こちらが走りすぎているのか。どちらにせよ、同じ景色を見ていない者どうしが向かい合っても、テーブルの上には沈黙が並ぶだけだ。

四日目の午後が、何事もなく傾いていく。やることがないというのは、時間がゆっくり過ぎることではない。時間が、自分をすり抜けていくことなのだ。

雑記 September 2026

まず、もう少し健康になりたい。

馬齢を重ねると、何もしないことが現状維持にならない。ただ普通に暮らしているだけで、肉体由来の苦痛がじわじわと増えていく。頼んでもいないものが、律儀に積み上がっていく。

健康が人生の最優先なのは、いまさら言うまでもない。このブログを全文エクスポートしてAIに読ませ、人生の優先順位を尋ねてみても、まずは心身を健全に保つことだと断言された。長年書き散らしてきた文章をまとめて読ませた末に、返ってきたのは至極まっとうな結論だった。まあ、そうだろうね。

現在、なんとか続いているのは、摂取カロリーをこれまでより最低一割減らすことと、外出したら十五分以上は速歩きをすること。この二つだけである。健康最優先という大方針に対して、実行部隊はずいぶん小規模だ。それでも、何もしないよりはいい。まずは、この細い糸を切らさずにいたい。

その次は仕事だ。仕事の中身を充実させ、売上を伸ばし、事業が途中で腰折れしないようにする。健康という土台があり、収入が続く見通しがあってこそ、残りの人生も楽しめる。

そもそも、肉体由来のものを除けば、私のストレスの大半は売上が伸びないことから来ている。原因がこれほどはっきりしているのだから、そこに手をつけるのが筋だろう。

今、売上につながる取り組みとして力を入れたいのは、実際の業務経験に基づいたブログ記事を増やすことだ。自分が現場で見たこと、試したこと、困ったこと。その蓄積を、必要としている人に届く形にする。AIにも参照してもらえるような、借り物ではない情報を載せていきたい。

どうせシルバーウィークも暇だろうし、三本くらいは記事を増やしたい。「そのうちやる」と言っていると、そのうちは驚くほど来ない。

AIの使い方も、本来ならこの方針に沿って覚えるべきなのだ。仕事の質を上げる。手間を減らす。売上につなげる。学ぶ順番は、おのずと決まりそうなものである。

ところが実際には、Spotifyのプレイリストを作らせては「わー、すごい」と喜んでいる。

仕事に使える可能性が山ほどある道具を前にして、とりあえず選曲を頼んでいるわけだ。とっつきやすく、すぐに結果が出て、しかも楽しい。そちらに手が伸びる理由はよくわかる。自分のことなので、たいへんよくわかる。

遊んで覚えるのも悪くはないのだろう。ただ、「すごい」と感心するところで毎回きれいに完結しているのは、そろそろなんとかしたい。

そんなことを考えながら、十月に東京へ行くかどうかで迷っている。

ビートラッシュの久々の公演がある。レニーさんに会いたいし、東京の空気も吸いたい。行きたい理由は、それで十分な気もする。

ただ、どれだけ切り詰めても五万円はごっそり消える。昨今すっかり吝嗇になった私には、気軽に「行こう」と言える金額ではない。五万円か、と考えるだけで、財布を開く前から手が止まる。

健康を保ち、仕事を続け、収入を確保する。その先にあるはずの「人生を楽しむ」が、具体的な日付と金額を伴って目の前に現れると、急に及び腰になるのだから困ったものだ。

レニーさんには会いたい。東京にも行きたい。五万円は惜しい。

今のところ、この三つが一歩も譲らずにいる。

youtu.be

ドバ爺的貧困

ドパガキという言葉が流行っている。ショート動画や短文のSNS、画像だけのInstagram等の情報を高速で処理してばかりで、長尺のコンテンツを楽しめなくなった若年層を揶揄する言葉だ。

これ全然、他人事ではなくて、私もYoutubeとiPadマンガという手軽に消費できるコンテンツばかり流し込んでいるので、本も映画も最後まで辿り着けない。ガキじゃないなら爺だな。

KindleのUnlimitedが充実して名作と呼ばれるミステリやら近年の人気作家の小説もかなりの量にアクセスできる。にもかかわらず、いくらでもコンテンツが手に入るので結局じっくりゆっくり読むことが出来ない。アマプラの映画も然りだ。

とはいえ、それで何か困ることがあるかといえば、短期的には何も無い。中長期的には文化素養の貧困化に繋がるかもしれないが💦