天空団地_404

You play with the cards you’re dealt… Whatever that means.

他者の心中がわからないのは万人同じという当たり前

人間は「他者はある程度は察してくれる」ということを前提に生きているが、その察してくれるはずの前提と対峙する現実に乖離があると、「なんで察してくれないのだ」とか「この程度のことも察せないなんて😠」こういう怒りが個人界隈から、大きな社会に至るまで、こういったフリクションが世界には常に発生している。個人や社会の諸問題の多くの根本が実はこういう構造なのかと考えた。

察してくれないことばかりが気になって最終的に孤立する人。無理矢理他者を「察してくれる奴ら」にしようと権力を間違った方向に使いまくる、あらゆる立場が上の人。

まったく他者の心中があれもこれもわからないと社会が成り立たない。だから世間には「常識」というコンセンサスが一応はある。しかし、この常識は度量衡が人によってまったく違う。そして、個人にとって自明な「常識」に反する個人や集団もやはり怒りの対象になる。

だからこそ「法律」があって司法がある。しかしミクロレベルの個人の世界には、法律も司法も使えない。だから人は権力欲に取り憑かれない人でも、「積極的に自分を理解しようとしてくれる人」を求める。しかも切実に。この欲望はエロスなみに大きい、そして加齢してもエロスのように減ったりしない。逆に膨れ上がりさえする。この欲望に過度な抑制は必要はないが、暴走すると「承認欲求モンスター」に育ってしまうので、そこは自制しないといけない。

いいたいことは、いつもと一緒だが「メンヘラはこの当たり前が理解できなくなっているから厄介だ」です。ええ