感情価値の非対称性

個々人の喜怒哀楽には社会的価値が原則無いが、大切な隣人の喜び悲しみに寄り添うことは、人生の目的の一つではある。親愛の関係性以外だと、悪い意味で一番影響力があるのは隣人の「怒」ぐらいだ。隣人の「怒」は身の危険に繋がるので一番敏感に反応するように脳の仕組みができあがっている。しかしあくまでも隣人の「怒」が問題なのであって、隣町のオッサンが怒ろうが憤死しようが知ったことではない。

人は本能的に「怒」が良くも悪くも「人を動かすチカラ」が一番強いことを知っているので、使い勝手のよい「怒」を安易に使う人が多数いる。この安易さが実は「悪」の源泉となり、負の連鎖を招きやすい。怒りの感情を利用して他者をコントロールしようとするのは、原理的には子どもの発想だ。赤子が怒ったり泣きわめいたら親は最優先で構ってくれるだろう。

このメンタリティを抱えたまま成人する人の総数が、全体の3割強から4割弱はいるとされている。社会を分断するマジョリティのパーソナリティ群でもある。個人の感情から演繹的に結論を導き出す人たち、敵を見つけ出し怒りのチカラを源泉として相手を糾弾する人たちだ。隣人には利用価値のあるこの理屈体系を、ネット上における匿名論壇に持ち込むとモンスターに生まれ変わる。

己の負の感情を一ミリたりとも疑わないのに、他者の負の感情は全否定する。このクラスタの言い争いは日々ネット上の至る所で目にする。

などとメタ目線で嘯いているが、私だって怒りの感情を根拠に他者を糾弾したことは数知れない。だからこそ、人の品格の分水嶺は、他者の「怒」にたいする振る舞いに自覚的か無自覚かで決まるのではないか。そんなことをふと考えた。

他人を攻撃せずにはいられない人 (PHP新書)

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