承認欲求に基づくアウトプットは質が低い

ネットは承認欲求の坩堝だ。

SNSの書き殴りも、Instagramの写真投稿も、ブログの投稿も、多くの場合、根っこに承認欲求がある。

衣食住がとりあえず足りている現代社会、我々が一番渇望しているのは「他者からの承認」なのだ。

ラ・ロシュフコーの箴言にこんなのがある。

心中得意になることが全くなければ
人にはほとんど何の楽しみもなくなるだろう

まさにそのとおりだ。こういうのもある。

われわれは、どちらかといえば 幸福になるためよりも
幸福だと人に思わせるために 四苦八苦しているのである

裏返せば

それは劣等感であり、現実の自己が「本当の自分」から乖離していると考えてしまう故に、他者からの承認を欲望する。

脳内の「本当の自分」を見せつけるために、我々は様々な手段で策を弄する。

動機がそれである場合、大抵その人の行為なり言動は爽やかでない、もっといえば、腐臭を漂わせている。

それが生きる原動力になる場合も多いので、一概に否定的に捉えるのも間違っている。しかし、われわれが他者に嫌悪感をもつのは、承認欲求が発する悪臭が、その理由であることがとても多い。現代社会における悪の根源の一つであるような気さえする。

僕がブログを綴る動機の半分ぐらいは、やはり承認欲求だ。それは隠しようがない。でもそれを動機とする場合に生じてしまう「ある種の醜態」については自戒しなければならないと肝に銘じてはいる。

ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫 赤510-1)

ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫 赤510-1)