不幸の因数分解

体調は芳しくないがメンタルは悪くない。そんな日々が続いている。少し前まではこの二つは不可分だった。先日も書いたが心と体は実質同じものだ。なのに二元論で考えるのは、矛盾しているように思われるかもしれない。しかし、不可分だと理解するからこそ、純理性的思考も成り立つともいえる。体調によって数学の公理が変わったりしないように。

体調の悪さに心を無防備にし過ぎると、相乗効果でますます生きていくことが辛くなる。不可分だからこそ、痛みは痛み、苦悩は苦悩と意図的に切り離した方が、結果的に不幸のスパイラルに歯止めをかけることができる。それを前提に理性的に肉体を気遣う。これこそ知性といえる。最近はそんな考えだ。

不幸は「肉体由来の苦痛」「過去や未来についての悔恨と不安」「承認欲求の満たされなさ」他にもあるかもしれないが、私が背負っていると仮定した不幸を因数分解すると、だいたいこの三要素になる。

人生哲学というものがあるとするなら、この三つの不安を安易に因果論で結びつけないことが肝要だと考える。過去の自分を含めて、負のオーラを放つ人間というのは、この要素がアモルファスな状態になっていて、他者には理解できない「不幸理論」を作ってしまいがちだ。

肉体由来の不幸は健康になること、麻薬の摂取でその絶対量を減らせる(後者は違法)、不安は「今に集中して、過ぎ去ったこと、未だ来ていないことについて考えない」、承認欲求は「隣人愛・交友、社会的使命の遂行」とそれぞれ処方箋がある。

不幸を客観視しないで、安易に因果論で結びつける思考最大の欠点は「怒り・蔑み・自虐」といった負の感情を道具にして、無理のある因果関係を(本人にとっては自明の)真実として自己了解してしまいがちなことだ。理不尽に怒っている人・不機嫌な人は、概して不幸を一本の因果関係で決めつけている。個々の要素に分解できる「不幸」を一元的に捉えてしまうから処方箋が見つからないのだ。計算しないで放置されている計算式のようなものだ。

因数分解 (Aクラスブックス)

因数分解 (Aクラスブックス)