天空団地_404

You play with the cards you’re dealt… Whatever that means.

苦痛と苦悩を分けて考える

苦痛と苦悩を分けて考えよう、こういうことがマインドフルネスの啓蒙書に書いてあった。近年良く考えていたことだけれど、あらためて考える切っ掛けになった。

苦痛は人間だけではなく生命体すべてが感じる苦しみであり、肉体の毀損や、その危機に関連して生じる。苦痛というのは襲われたら避けられない。襲われないように注意深く生きるしかない。

苦悩は人間のみの苦しみ。考えるが人故の業ともいえる。これは脳内の理路を修正したり、苦悩を哀れんだり慰めてくれる隣人がいれば、相応に減衰が期待できる。

苦痛と苦悩は概ね混ざっている。片方が片方をより強める。そこからせめて苦悩は取り除きたい。苦痛を減ずるには健康になるか、苦痛の場から物理的に離れるしかない。一方、苦悩を減ずる方法は選択肢が多い。

苦痛まで苦悩のせいにしたり、苦悩を苦痛のせいにするのは賢明ではない。タダでさえ辛い現状に拍車をかけるだけだ。理性を働かせて、苦痛と苦悩の間に線引きをした上で、それぞれを緩和する手段を弄すればよい。

この二つを分けて考えるという智慧がなく、ひたすら不幸を嘆くだけというのは、知性ある唯一の動物であるホモサピエンスに生まれた甲斐がない。苦痛が解消しづらいのであれば、せめて苦悩を軽くしたい。苦悩が解きほぐしがたいのであれば、せめて苦痛を減じたい。

若いときは苦悩が不幸の主因であり、老いてくると苦痛が不幸の主因になるらしい。若いうちに苦悩との対峙方法を会得しておかないと、老後が悲惨になる。平均より早く逝ってしまう人は、苦悩に加え老いて増える一方の苦痛の加重に耐えられなくなる。