持病の背中の疼痛が酷くなって「痛くなければ幸せだ」みたいなことをさんざん書いてきた。
それが真実から離れていないことを脳科学の本で知った。己の感覚と理屈がかみ合ったみたいで興味深い。これまで快楽は「ドーパミン」という脳内物質が司っていることが知られていた。だからドーパミンを放出させる覚醒剤に陥る人がなくならない。しかし、ドーパミンが関係するのは「快感」であって「幸福感」ではないということが明らかになってきたらしい。
幸福感に関係する脳内物質がなんと「オピオイド系物質」なのだそうだ。モルヒネやヘロインといったダウナー麻薬と同じ系統である。最近アメリカを中心に欧米の社会を蝕んでいる鎮痛剤中毒もオキシコドンを中心としたオピオイド系だ。
モルヒネは鎮痛剤の王様だ。末期癌の耐えがたい痛みを大きく和らげてくれる。この痛くない感覚と幸福感が、脳科学的には極めて近似の感覚であるという。痛くないというのは痛みを感じないだけに留まらず、幸福感にダイレクトに繋がっていることが明らかになってきた。
先日、アメリカの社会ドキュメンタリーで鎮痛剤依存患者の様子が映し出された。禁断症状が出るまで悪化したので、薬が切れると地獄が待っている。しかしクスリさえあれば「何物にも代えがたい幸せ」を得られると恍惚とした表情で語っていた。この心地よさは覚醒剤やコカインといったアッパー系麻薬とはまったく違う系統の気持ちよさで、より精神依存度が強い。不幸な人間が化学物質を体内に取り入れることで、簡単に(脳医学的には、一般的にいわれる幸せと本質的な違いのない)幸福感が手に入るのだ。
前述したことをひっくり返すと、痛み=不幸という等式も成り立つ。不幸を感じる瞬間と、痛みという苦痛を感じる瞬間を比較しても、脳からみれば質的にも同じことなのだ。
実際、不運だ不幸だトラウマだ、あいつが憎い、あの失敗さえなければと様々な形の不幸を感じていても、静脈にオピオイド系物質を注射すれば、不幸な感覚や思考は持続不可能だ、そんなのはどこかへ行ってしまう。
我々の脳内に現れる心の実体は、様々な脳内物質と脳内神経の化学的反応に過ぎない。トラウマをスティグマのように思い込んでいる不機嫌な人間だって、脳内にある種の物質が溢れたら、嫌でも幸せになってしまう。心なんて、その程度のものなのだ。