このブログだけは、自分のネガティブな感情・思考・感覚について正直に書いている。読み返すと、ネガティブ要素が脳内に満ちると愚痴ったり、逆に自分を励ましたりしている。
個々人の内部に発生したネガティブな諸々を十把一絡げに「他者」に転嫁するのがパラノイア気質だ。私は一貫してパラノイアを批判してきた。世にはびこる人間関係のトラブル、周囲を困惑させるミクロから、社会を悪くするマクロまで、過度の他責思考は諸悪とまではいわないが、多くの悪の原因だと思う。(これはカントもニーチェも言及している)
両極端は同質という真理がある。例えば極右と極左は非常に似ている。極端な他責はハッキリと「悪」なのと同様に、極端な自責も「悪」である。
極度の自責は「個」を壊す。なのでそこから逃げたくて、弱さゆえに極端な「他責」思考で自分を守ろうとする人達がいる。その意味でも「両極端は背中合わせ」なのだ。
「自責」と「他責」の揺らぎに振り回されているだけで、人生のエネルギーの多くを費消してしまう人達がいる。それこそがまさに「メンヘラ」だ。
これは単なる「思考の歪み・偏り」が問題の本質ではない。メンヘラのほとんどは「脳内物質」のバランスが極めて不安定だ。物質の問題に過ぎないのに、思考のチカラ(理性・文字で綴られた理屈)で、無理矢理に個の問題(あるいは脳の問題)を正そうとするので、結果的に論理性が皆無になってしまう。器質起因の問題に論理は正解を与えてくれない。
メンヘラの迷宮から抜け出すために
メタ視線で「自責と他責の間をフラつく自己を自覚して、そのフラつきを安定させようと理屈のチカラを使っていることを客観的視する」ことが大切だ。
ミクロな他者批判からマクロな社会批判まで、その批判の源が「脳内に生じた、負の感情、思考、感覚」という原初的なことだと悟れば、底の浅い思考を吐き出すことによって、人から侮られたり、他者の不快感を誘引したり、そのことによって自分をますます不愉快にするという不毛な繰り返しを回避できる。そしてこの不毛なサイクルに気づかずに絡め取られている人間とは距離を置くこと、これが何よりも心穏やかに日々を送るコツなのだと、最近しみじみ思う。
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百戦錬磨のトリビュートバンドを従えて、ビースティーズのSakiさんが熱唱。歌唱力半端ない。