天空団地_404

Kill them with kindness

皐月下旬雑文

メンタルヘルス

強い抑うつは「レクサプロの増量」と「外泊効果」で9割方寛解した。常飲しているレクサプロを0.5錠増やすだけで、あらためてこの薬が自分に合っていることを強く確信した。起床時の絶望感、午前中の息苦しさといった諸症状は出なくなった。我ながら病気を上手く飼い慣らせるようになったものだ。

競馬

全然当たらないけれど競馬の予想が楽しい。昨年秋からの将棋のマイブームが一段落して、現在は週末の競馬に思いをはせるのが一番の楽しみになっている。来週はダービーだし、ダービーが終われば次年度のPOGも始まる。やはり長くやっている趣味というのは、情報量が多いので楽しみ方も多彩だ。もう少し当たればいいのだけれども、小さな餌で大きな鯛を狙うような買い方をしているので、ハズレ続けるのは仕方がない。チマチマ買って回収率75%ぐらいに収斂するほど賭け事に熱中するタイプではないのだ。

今週の仕事・広告戦略

今週は価格改定に伴うサイトのマイナーチェンジを委託会社にスムースに進めてもらうための資料作成が中心だ。予想外にコストパフォーマンスがよかったTwitterを利用した広告をもう一本か二本試してみるつもり。

抑うつ・書くこと・François-Xavier Roth

暗転三日目。意欲低下にともないIQが下がった状態になるので、知的なことが出来ない。昨日はせめて身辺を整理しようとノロノロと緩慢な動きながら部屋の掃除と整理をした。発生した仕事を処理する以外は席を立ちゴミをゴミ箱に、衣類をタンスに入れる等をジリジリ行った。牛歩作業でも終日やれば目に見えてスッキリした。

抑うつは午前中がキツく午後は多少楽になる。曲がりなりにも綺麗になった身辺をみて「今回の暗転は軽微になるかも」と期待した。

明けて本日。起床時の気分の悪さは酷くなった。加えて仕事が極端に少ない。こうなると先日の朗報が逆に心の負担になる。8時半の始業から、このブログを書き始めるまで何もしなかった。ただ座っていた。調子が悪いとネットザッピングさえ出来ない。

でも、こうしてブログを書いているじゃないか? こういう突っ込みが入りそうだ。考えながら文章を垂れ流すのはパソコン通信の時代からやっているので、調子が悪くてもできる。とはいえこうやって書けている事実からして「自分をどこかで甘やかしている」点は当然あるのだろう。

抑うつ時に聴ける音楽

無音は耐えられない。その空白に闇が忍び込んでくる。よくいわれるのは「静かで少し暗い音楽・短調系」といわれる。とはいえ短調系でもディオニュソス的な要素のあるモーツァルト等は逆効果だ。昏く静かで雄大な曲を低音量で聴くのが落ち着く。ブルックナーアダージョとか。

クラシックは蘊蓄を垂れるほどの知識はないけれども、2020年代で一番良質の演奏をする指揮者の一人といわれるフランスのロトという指揮者のアルバムをサブスクリプションで聴いている。
フランソワ=グザヴィエ・ロト - Wikipedia
新しい感覚を取り入れながらも旧き良き時代のエッセンシャルも感じさせる二重性がよい。最近のシンフォニーの録音は一昔前と違って、オフマイクというか雄大に聞こえるように若干音像が遠いのがトレンドのようだ。この時代にクラシックのディスクメディアを買うような富裕層は雄大な音を鳴らせる立派なオーディオを所持しているというのが、おそらくその理由だろう。

ロトのR・シュトラウスブルックナーはとてもよい。安らぐ。

Severe depression

3,4年前に抗うつ剤を断薬しようとして失敗して以来の酷い抑うつ感に襲われている。昨日のライブ鑑賞後にメンバーの皆様に打ち上げに誘われたのだけれども、とても参加する気になれず自宅に直帰した。

例年4月5月は鬼門なのだけれども、しばらくは安定していた。抗不安薬を囓りながら復調するのを待つしかない。

昨日の動画youtu.be

治療方針決まる

昨日は術後3ヶ月検査。CT検査もした。経過は良好らしい。初めて主治医がインプラントの除去について言及した。異物が入ったままだと筋肉が硬直化してしまうので、やはり4ヶ月・5ヶ月をめどに再手術をする予定とのこと。いままで言及しなかったのは術後の治癒が順調でない可能性を考えてのことだったらしい。医療の業界用語なのか「ハガシの手術は必要だね」という表現だった。単に異物を除くというより、より積極的な意図があるらしい。

「ある程度の障害は遺るのでそれを前提にした人生を考えないといけない」と思い込んでいたけれども、より積極的な手術で、障害が残るレベルではなくなる可能性が大きくなったことであり、基本的にはめでたいことだ。また全身麻酔の手術が前提なんだけど

主治医のG先生、
イケメンで爽やかでモテそうだなといつも思っている(蛇足)

忘却力を鍛える

思い出して不快になることは忘れる。
この忘れる力こそ人生の重圧を軽くしてくれる。

トラウマは消せないと断言する人もいる。過去に物理的に肉体を壊した場合はスティグマは当然遺る。

心の傷痕は遺るか否か・・・ 心≒脳だと考えると、酷い過去は脳細胞に書き換え不可能な傷痕を焼き付けている。脳はネガティブな記憶を忘れないように出来ている。同じシチュエーションに陥った際の危機を回避するためだ。人が他の動物より生き抜く力が強いのは、理性を手に入れたことによりこの危機回避能力が飛躍的にアップしたからに他ならない。

しかし、理性には欠陥も多い。思い出しても不快で自己不全感が募るだけで、心を汚染するだけの不快な記憶も刻み込まれてしまう。浅い理性ではその制御は不可能だ。理性で制御しようとしても脳細胞に焼き付いたトラウマは消せない。

それではトラウマ・スティグマは人生が終わるまで悪影響を人生に与え続けるのかというと、そうではない人もいる。分水嶺はどこか? 

一つは「言語化にこだわる思考のクセを意識して押さえ込む」
もう一つは「今・ココが人生のすべてである」こういった東洋的な人生哲学を取り入れるか否かだ。

いい方を変えると「自分自身に呪いをかけない」「私は常に今にしか存在し得ない」この二つ。私は自分に合った抗うつ剤とこの二つの考え方で、人生を多少は軽く出来た。(それでも重いけどね・・)

蛇足的に付け加えると「人は誰しも驚くほど他者に興味がない、愛している人と憎んでいる人を除いて」
この事実認識メンタルヘルスのためには大切だと思っている。