天空団地_404

You play with the cards you’re dealt… Whatever that means.

過去について言語化しない

昨日、Twitterの混乱からmixiを思い出して、ログインし00年代に主に大量投稿していた日記を読み直した。せっかくだから、一つ転載した。プライベート色が強すぎるテキストの数々は、当然ながら晒す気にはなれない。

この稼業を始めるに至った経緯についての日記は、自分のことなのにちょっとしたノンフィクションを読んでいるようで面白かった。対人ストレスに極端に弱い私が今の生業に就くことができたのは、偶然の重なりとはいえ幸運だったなと。なので稼業の持続可能性を伸ばさないと・・ あらためて、そう思いつつ気力が枯れている昨今の私。

で、過去について言語化しないというマイルールついてだ。過去のことはmixi日記なり、とっくに消えたさるさる日記のアーカイブを読めば全部思い出せる。オンタイムで書いたことには脚色の余地がない。

過去について考えないようにしている私でさえ、(だからこそともいえるか)、過去の客観的事実だと記憶していたことが、事実と違っていたということが多すぎて改めて驚愕した。無意識でも自己を正当化し、加害者だったのに被害者意識で記憶が改竄されているw

自分の過去は自分が主体なのだから、自身の過去に言及する私は客観的なのだという考えが、根本的に間違っている。客観的事実以外の価値判断を伴う過去の記憶は概ね、自身に都合よくしか記憶していないものだ。俺を退職に追いやったパワハラ上司も、さすがに俺が妄想の中で繰り返し殺害するほどの悪人でなかった可能性の方がずっと高い。自我を守るために被害者としての記憶ばかりを肥大化させるのは、端的に醜い。人間の弱さの表れに過ぎない。

忘れることが出来ないトラウマでも、いちいち思い出しては脳内で言語化してはいけない。それはその時点で過去の事実ではなく、今ここで脳内に生成している文字列とイメージに過ぎないということだ。過去は関係ないなんていわない、我々は過去からの因縁の果てにここにいる。しかし果て(現在)において、過ぎ去ったことについて無駄に考えても自分を傷つけるだけだ。

こういったこと

上記のようなことをこのブログでは繰り返し言及してきた。繰り返し言及するってことは、脳に染みつかせることだから、正しい思考方法なら、身体化するまで繰り返し言及するのは正しい。しかし、その正しさを担保するものは、冷静に考えたら無い。というわけで、この件については、もう身体化するほど言及を繰り返したので、今後は文章には落とし込まないつもりだ。逆に自説に固執するがゆえの弊害が育ってきた気が何となくする😅


AI(ミッドジャーニー)にて生成 夏の景色