天空団地_404

You play with the cards you’re dealt… Whatever that means.

他者という天国と地獄

人間は徹頭徹尾、社会的存在である。そうでなければ、そもそも論として言語というものが生まれない。生存戦略として群れを作る動物はいるが、社会は作らない。そして進化心理学の知見から、人の社会性は150人程度のコミュニティに最適化して発達してきたとされている。

血族以外の他者とも関係を築かなければ生命を保てない。特に近代以前はそうだ。実は現代だって孤立して生きていけるような気がしても、実は他者が社会を支え合っていなければ、一日だって生きていくのは困難だ。

社会がある以上、ヒエラルキーが必然的に生まれてしまい、あらゆる面で差異化は避けられない。ヒエラルキー上部の人間は良いけれども、下部の人間だって生きていかなくてはならない。なので相手を慮る力や忖度といった弱者戦略が必要となる。下部の内部でさえ階層化は必然なので、マウンティングしたり、言葉を持ったがゆえに自己正当化の理屈を考えないと生きてはいけない。

社会悪というのは上層部の腐敗も大きいけれど、それ以上に下層クラスのマウンティングや自己正当化(ある意味屁理屈)が人々の不幸を後押ししているように思う。

私という個人レベルに還元すると、うつ病器質なのは「他者を異常に気にするが故の脳の故障」と捉えることができる。半世紀生きてきて、積み重なってきた辛さの諸々は「他者という地獄」ゆえに生じた。所属した組織が常に相互敬愛に満ちて、朗らかな雰囲気に満ちていたら、うつ病器質でも脳に変調は生じなかっただろう。原因ではなくても起因であることは間違いない。

アドラーが「全ての悩みは対人関係」と喝破したのを知って「いや、器質性の病気に起因する苦痛は別でしょ」そう思った。しかし、神経の痛みでさえ、心配してくれる人がいるといないのでは、体感的な苦痛はかなり異なる。癌や糖尿病でさえ罹患して不幸なのは、社会の中で立場が弱くなり、心理的社会的立場が下がってしまうからだ。実際、人間以外の動物は病気の種類問わず、病んでしまったら死に一直線なので、苦痛はあっても「不幸」にはならない。

両極端は背中合わせという真理がある。天国と地獄も表裏一体であり、人類にとって他者は不幸の根源でありつつ、幸福の根源でもある。他者存在をどう捉えるかどうかが、結局のところ現世を天国にも地獄にもする。人間不信で孤立して怒りに満ちている人間が幸せになることは「原理的に」できない。であるなら、諸刃の剣である「理性≒言葉」を他者不信に使うことは慎んだ方がよい。ドMなら逆が良いだろうけれども(笑)