幸不幸の分水嶺


どちらを主たる原動力とするかが、個々人の幸不幸の分水嶺のような気がする。僕はいうまでもなく「不安の回避」に人生を捧げてきたタイプだ。「快楽の追求」のようでも不安の回避のための快楽の追求だった。

「快楽の追求」というとエピキュリアン的というかあまりよい印象がないかもしれない。肉体的快楽のみだと下品かもしれないが、精神的快楽や高揚感も含めれば、ネガティブな欲動に対するポジティブな欲動という関係式に表せるだろう。

馬鹿にされがちな「刹那の快楽を求めて人生破滅」みたいな人だって、死ぬまでオドオドして不安に苛まれて朽ち果てて死んでしまう畜群系負け組よりは、人生ずっとマシかもしれない。

刹那の快楽以外の快楽も知っていて、その快楽にたどり着くまでの過程まで楽しんでしまう人は最強だ。人生楽しそうな人は、みんなそんな感じだ。僕の視界にいる幸せそうな人たちは、日々笑顔で過ごしているので、その人の側にいるだけで心が明るくなる。

逆の人、僕もそちらに属しがちなのだが、心に「不安・不満・怒り・悲しみ」を抱えていて、それをどうやり過ごすかでヘトヘトになってしまっている。自虐をして疲弊するか、他者や社会を恨んで世間を狭くするか、心を病んで社会での居場所を無くすか・・・ろくな結末がない。

「不安の回避」が人生の目的になってしまったら、たとえ第三者から見て恵まれていても当人は不幸で不遇だろう。そして第三者からみても情けなく、当人が日々「不安の回避」の重たさにため息をついているだけなら、瑕疵なきピカピカの不幸。うぅ