後悔する暇がない

後悔する余裕がない人生だ。字面的に矛盾しているように見えるかもしれない。しかし、そのとおりなのだ。精神の不安定に関して、クスリによる寛解と、油断しての再発を繰り返している。そのループを通して、日々の苦痛は、その都度その都度の脳の健康状態に過ぎないという確信が生まれた。加えて三十路半ばぐらいから、ずっと背中の疼痛に苦しんでいる。疼痛は過去の後悔とは関係がない。体の歪みと老化が原因だ。 

不惑過ぎから、抑うつと疼痛のダブルペインに襲われ続けている。人は普通、二種類の感覚や感情を同期させて感じることが出来ない。脳はシングルタスクなのだ。だから痛みと鬱が混在すると「とにかく今、この瞬間が辛い」というボンヤリした感覚に収斂してしまう。この輪郭のない苦痛について、このブログでも色々と考察してきたが、理性の力で、背中や脳の中の不具合を治すことは、原理的に無理だ。

それでクスリに異様にこだわるようになったり、マインドフルネスがらみの思想に足を突っ込んだり、フィットネスクラブに無理して通ったりしている。もはや過去の出来事など、思い起こしても何の役にも立たない、トラウマだけではなく、過去の良い思い出さえも、そうなのだ。

過去を思い出しては愚痴を言う輩や、誰かを延々と呪詛している人って多いけれども、肉体は健康なのだろうなと、僻んでしまう。

今ここにある肉体が物理的に毀損されているのだ。今をやり過ごす以外に、自己のリソースを割くゆとりが無い。どこにもない。