暇・孤独・疼痛・抑うつこの四つの境目がわからない。考えれば考えるほどわからなくなる。「ぜんぜん違うだろ?」という人が大半なのだろうか?
「わからんでもないが、暇と疼痛は違うだろ」そういう意見が特に多そうだ。しかし私的には違わない、暇は疼痛を意識させるし、疼痛は暇の辛さを加速させる。
漠然とした全身に感じる疼痛と、抑うつ感の境目がわからない。両方が不可分に混ざり合って私を苦しめる。それに暇と孤独が辛さに荷重をかける。
身体状態が精神状態に悪影響を及ぼす、精神状態が肉体状態に同様に作用する。俺の人生これの繰り返しだ。
言い換えると「心」と「神経」の違いなのか。心は脳から生じ、脳は神経の塊だ。違うようで違わない。考えれば考えるほど境界を区別できない。
「強い鎮痛剤(ダウナー系麻薬)であるモルヒネやヘロイン」が人を至福状態に導くことは、喧伝こそされないが世の常識だ。肉体と精神の不可分性を常に意識する私は、薬で辛さを解決しようと抗うつ剤を欠かさず、鎮痛剤を個人輸入している。薬が切れると「暇の辛さ、孤独の辛さ」が心を蝕む。
ダメ人間が集まって麻薬に耽溺する悪習は世界中にある。彼らは、アモルファスに混ざった「暇・孤独・疼痛・抑うつ」を一気に解決する術を共有しているわけで、生存戦略としては当然「有り」なのだろう。そういう逃げ道が日本には無い、それは社会が健全な証なのかもしれないが、ある種の人間たちにとっては退路が断たれているともいえる。
老いて人生が行き詰まって「暇・孤独・疼痛・抑うつ」に蝕まれて苦しんで逝くぐらいなら、日本を脱出して神経活動をすべてふやけさせるドラッグに溺れて夢見るように現世から逃げる方が幸せなのかもしれない。
朝から不穏なことを考えている。