25年ぶりに或人の顔をFacebookで偶然発見。相当綺麗な人だったので老いた顔を見るのが怖かったけれど、美貌がほとんど衰えていなかった。数枚写真があったけれども、一番記憶に近い顔は笑顔だった。笑顔って大切だなと思った。
しかし、綺麗・綺麗でない、美人とブスってなんなのだろう。美醜の判断は瞬時にできる。よく見たら美人だったということはない。我々には異性の美醜について瞬間で判断できる力が備わっている。当たり前のようだけれども、よく考えたら不思議だ。
雌の猿の美醜や雌猫の美醜なんてサッパリわからない(当たり前だけれども)。ただ美醜の判断基準は個人によって少しずつ違う。AKBとかアイドルグループでもファンは分散する。生物学的にばらけていた方が人類としては都合がよいとか、そういう話を進化人類学の本で読んだことがある。
生殖の相手としての差異だという考えもある。しかし、子どもでも可愛い子と可愛くない子の区別もやはり瞬間にできる。同性のイケメンかそうでないかもやはり瞬間に判る。美醜に関しては突き詰めると哲学にまで及んでしまう問題ではある。
ただやっぱり惚れるか惚れないかは「自分の遺伝子をブラッシュアップできる相手」かどうかを、本能が指摘するのだろう。そう考えるのは興ざめだけれども事実だ。