天空団地_404

You play with the cards you’re dealt… Whatever that means.

行動に結びつく動機

やらねばならないことに着手できない。いい加減このことでモヤモヤする不毛を終わりにしたい。

人間が行動するのは、「理性の命令 → 行動」と一般に思われがちだけれども、どうやらそうではないというのが、最近の医学的な見解だということだ。思慮を伴わない行動の9割は脳が命令を出すよりも前に体の方が先に動いているらしい。これは自由意志が存在するのかという哲学的な問題にも繋がるわけだけど、今回は置いておく。

生理反射・ルーチン

尿意を感じてトイレに行くとき、「尿意を感じているな、ではトイレに行こう」とわざわざ脳内で文字に変換して体を動かしているわけではない、肉体の動きのほとんどが理性を介さずに行われている。これを利用していちいち必要な行動をするために決断をするのではなくて、ルーチン化してしまおう、というのが自己啓発系の本に記載されているメソッドだ。いちいち意欲を喚起して理性の力で行動を習慣化するのは、多くの人間には無理だ(たまにできちゃう人がいるけどこういう人は人生の勝ち組になっている)

「人は理性で欲するものは強烈には望まない」というラ・ロシュフコーさんの箴言にもあるように、理性においてやるべきだと判断したことを、完全な習慣とするのは非常に難しい、私に関しては無理だと(半世紀もかけて)理解した。

やらざるを得ないからやる

仕事とか各種手続きは結局これだ。頻繁にやらざるを得ないが生じると、それはほぼ条件反射的になり、いちいち「やりたくないな」などとは考えなくなってしまう。なんていうか、「やらざるを得ないことだけど、頻繁にやっているから、心理的抵抗無しに、条件反射的にテキパキと処理できる」このバリエーションが多い人ほど、収入を得られるし、プロフェッショナルになれるし、暇に苦しむことも減る。これだって、オーバーフローしちゃうと疲弊するし、心を病むのだけれども、この行動原理が多くの人のアイデンティティーを下支えしているのだとおもう。

鬼門:不安を解消するために~すべきだと思いつつ行動に移しにくい諸々

散々煩悶して、結局やらざるを得ないからやること。結局やるのだから悶々とするだけ無駄だというのは百も承知だ。分かっちゃいるけど着手できない。これがどれだけの気鬱を生んできたかと思うとウンザリする。

動機が不安だけで、やらなくても不安が消えない以外のデメリットがない諸々は結局やらないまま放置、こういうリストも山のようにある。さっさと見切りをつければ良いのに、それができたら苦労しないので、常に漂う瘴気のように心を汚染し続けている。

答えはあるのか・・

一つは「過去の自分というものに照らし合わせて、結局やらないのだろう」という見切りのリストを書き出して、断捨離してしまうことだ。結局やらないだろうということは薄々は知っている。それを直視する勇気こそ特に中高年以降は重要となる。

もう一つはやらざるを得ないように自身を追い込むことだ。これは他者に宣言してしまうとか、やらなかった場合の不利益を被るのが、自分だけではないという状況になると、ほぼ間違いなく行動に移せる。これすらできないと人から信頼されないし、仕事というものもできないだろう。他者に宣言するというのは、手垢のついたメソッドだけれども、やはり効果は抜群だ。

・・・文章を閉める気力がなくなったので、これで終わりです(>_<)