人を動かす欲動には大別して二つある。
一つがドーパミンの放出を促すため。
もう一つが不安を解消するためである。
前者は「わかっちゃいるけど止められない」的で抑制する必要性の方が高い。
後者は「やらなければダメだけど、着手できないので更に不安が増大する」という行動に直結しない(しにくい)ことが一番問題になる。
不安が大きいのに、それを解消する行動に強い抑制がかかるパターンの人は「ドーパミンの放出が伴わない行動は苦痛だ」と無意識に信じ込んでしまっている(怠け者の理屈)
さらに加齢によってドーパミンの放出が悪くなる。これを予感してしまうと「無気力」になる。「これをやってもこの程度の快感しか得られない」とシニカルになってしまう。そうなると行動は原初的な(食欲や睡眠欲を満たす)ものにしか駆られなくなる。好奇心の衰えとされる現象だ。
不安を解消するための行動をドーパミンの放出的な欲動に変換する知性と、ドーパミンが枯渇しても行動力を失わないようにする理性。
結局、人によって行動力が違って、結果得られる様々なことの量が大きく異なるのは、「人を動かす欲動は何か? それを抑制する力が生じる理由」について人生哲学があるかどうかだと考える。
考えなくても行動を強制させる力が「社会」にはある。社会組織は主に利潤か公共の利益を、家族組織は慈愛の交換義務が人を駆り立てる。
社会から切り離された人間が怠惰にならないようにするのは、とてもむずかしい。というか無理だ。孤独な人が加齢して行動力が削げて食べることと寝ることにしか意欲がわかなくなると、死が近い。実際、孤独な人は平均寿命がとても短い。(未婚男性は既婚者より平均して20年近く早く死ぬ)