天空団地_404

You play with the cards you’re dealt… Whatever that means.

怒りは暇人の娯楽

ネットには怒りを表現した投稿がやたらと多い。
無縁なのはFacebookぐらいだ。

どうしていいかわからない、何から始めていいのかがわからない。それがいちばん困る、でも、「悪いのはこいつだ」という「諸悪の根源」の名指しがあると、話は簡単になる。「こいつ」を叩き出すために何をすればいいのかについて、具体的な手立てを考えるという「当面の仕事」ができるからである。人間は何かをして、頭を使い、身体を動かしていると、何もしていないときよりも、生命力が亢進する。「これが諸悪の根源だ」という名指しが可能であるなら、どんなデタラメな境界線でも引いてみる方がまったく引かないより、やることができるだけ「まし」なのである。

「怒りは暇人と愚者の娯楽」と喝破したのは心理学者だったか、哲学者だったか。確かに暇を持て余している人ほど、怒りを費消しているように思える。無為で情報が脳内に何も生成しない状態よりも、怒りがトリガーとなってテキストが脳内に横溢したほうが、人は「楽しい」らしい。怒って不快感を表明しているようでも、実際は楽しい、その感覚で自己同一性を何とか保つ、そういう歪な構造が成り立っているらしい。

「怒りの主体」であることが、己に思考回路があり社会性を持っていることの最低限の自己認識ツールとなる。だからこそ寂しい人は怒りやすい。怒りを表明することで。「オレハココニイル!」と虚空に向かって叫ばざるを得ないロンリーな人が溢れかえっている。

「怒りを共有して共に闘う」これは人間、特に成人男性には本能的にインプットされた仕組みだ。この本能に無制御に従うと破滅が待っているのは、多くの戦争の歴史や、ファシズムの台頭等の歴史が教えるところだ。

煽り運転の容疑者を執拗に放送したり、隣国の愚かな怒りから生じる愚政に怒りまくったり、ネットがギスギスし過ぎていてTwitterを眺めるのさえ、ウンザリしてしまう。愚かな対象に対しては、「怒り」ではなく「呆れる」ぐらいでよいと思う。怒ってテキストを書き散らして、鬱憤を晴らす連中とはかかわりたくない。人生の無駄だ。

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