物心ついた頃から常識も理屈で腑に落ちないと納得しないという性癖で損ばかりしている。疑うのは構わないが有効な反証のロジックがないのであれば常識に従う方が大抵は間違いないという、ある意味における常識がなかった。
馬齢を重ねて常識の妥当性が腑に落ちたときには、既に常識に従わなかった不利益を十分に被っているという結末。常識が常識たる所以は、それに従わないと不利益に陥るという事実によって実証される訳なのであるから、今さら己の非常識に納得したところで、死屍累々の現状に嘆息するしかない。
とりあえず意識的にせよ無意識にせよ今の自分が抗っている常識について考えてみるのだが、これがことのほか難しく、非常識であったと落涙するまで、常識はその姿を見せないのである。
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