天空団地_404

You play with the cards you’re dealt… Whatever that means.

無題

僕は過去からの因果関係の結末として、仕方なく存在しているわけではなく、今ここで思索をしているから、ここに在るのだ。記憶は昨日のものも30年前のものも、幼少期のものも等価である。今の私が昨日より幼少期に強く因果づけられているということは、物理的にはあり得ない。心理的にはあり得るのだと強弁する輩とは距離を置きたい。鬱陶しいのだ。

私の母は善人だが、口を開けば三回に一回は私が生まれる10年前に亡くなった祖父の思い出話をする。立派な人格者だったことは祖母や叔父叔母の話からしても間違いない。しかし、私には他人なのだ。祖父が長生きしていたら、母は父とは絶対に結婚しなかっただろう。ということは、私はこの世にはいないのだ。人格者が早世した結果、生まれたのが私だ。因果関係的にはそう受け取ることもできる。

人が過去と現在を因果の橋で渡るとき、概ね現在の不幸の源流として過去をみる。逆に過去の幸福と現在の不幸を比較して溜息をつく。時間的には昨日も幼少期の一日も等価なはずなのに、主観的時間の価値は遡れば遡るほど良くも悪くも高くなるらしい。

昔話しかしない人に会いに行くより、今を楽しんでいる人、目標に向かって常に進んでいる人、こういう人たちと交流すると気鬱がはれる。それなのにコロナ禍で、そういった人たちの多くが歩みを止めて、足下が崩れないように蹲っている。



オリンピックが中止になって、梅雨が明けて、ワクチン接種の絶対量が閾値を超えたら、世界が違って見えるのだろうか。未来に期待せず今ここにいる自分をより良く生かす為に必要なマインドセットは何か・・・ 答えは出ないが、せめてもがきたい。

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