「苦の一時的忘却が快楽の本質」
こういう言葉について考えている。
僕は「苦」には原因があると考えて
それの排除に人生を捧げてきた。
しかし、一向に「楽」はやってこない。
にもかかわらず「苦」は日々量産されている。
「苦」がない状態を「楽」というわけではない
「苦」を前提にそれからの一時的な開放に伴う感情が「楽」なのだ。
だから「楽」を求めれば求めるほど「苦」は積もっていく
東洋思想のいうところの「業(カルマ)」というやつだ。
「苦」の本質を見極め
思考だけでなく肉体を操作することによって苦楽の因果から抜けよう
そういうのが禅とか瞑想とかヨーガなのだろう。
今のところの解釈はそんなところです。