「不幸」というのは、「快楽」が欠けていることであり、「快楽」でないことにすぎない。私たちは、その意味の「不幸」のうちにあっても、なおかつ幸福でありうる。真の意味の幸福とはそういうもの
快楽=脳への刺激という意見もあって、暇と退屈が不幸に繋がりやすいらしい。
持っていないものは脳への刺激が多いはずだというのは脳の錯覚だろう。
使い切れないお金を手に入れても絶世の美人と一緒にいても脳の感受性には物理的限界がある。
我々が若さをうらやむのは単に若い方が「快楽への感受性が高感度である」に過ぎないのではないか。
そうすると老化すればするほど人は不幸になることになる。
「不安だから不幸だ」という思い込みもあるが不安がないと人間は不安になるという
パラドクスがある。だから人間は不安を欲する。これもどっかに書いてあった。
人の本質は不幸=苦であり幸福とはその一時的な忘却に過ぎない
と喝破したのはブッダである。 二千数百年前には本質は悟られていたのである。
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