痛みと寒さと鬱の違いについて考えてみる。感じ直してみるといった方が適切かもしれない。そういうメタ視線で内観すると、だんだん三つの違いがわからなくなる。この境界線の曖昧な感じはちょっと言葉には還元できない。
痛覚がなくなるのと快楽はほぼ等しい。証拠はヘロインという麻薬だ。痛覚は神経の現象、不安や快楽は心の問題と思われがちだ。しかし脳だって神経の塊なのだ。飛躍するようだが人生の辛さは神経が自らを絶え間なく攻撃するからだともいえる。
なぜ神経は自らを痛めつけるのか。痛くないと、あるいは不安がないと人は生きることを止めてしまうからだ。ヘロイン中毒者は生きることを実際止めて死んでしまう。
負の神経刺激はリアルであるが、そこから完全に解放される世界というのは妄想か彼岸にしかない。第三の道を目指したのが仏陀なのだが、そこまで考えると仏教もニヒリズムの一形態のような気がしないでもない。
ツァラトゥストラ〈上〉 (光文社古典新訳文庫) (2010/11/11) フリードリヒ ニーチェ |
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