思えば10年以上、受注の波に一喜一憂しているわけだけれど、これはこれで刺激になっている点はある。一憂があるからこそ一喜であるわけで、憂いを避けすぎると喜びも得られない。
人間の基本は憂いであって、それを解消しようとするから生きる意欲が生じる。だから憂いが晴れたときの喜びはしっかりと噛みしめないといけない。憂いばかりの人生だと嘯いている人だって、ぐっすり眠れたときの朝とか、いい湯加減の風呂の快楽、ジャンクフードを貪って食欲を満たしているときは楽しい。
憂いを過大評価せず、小さな喜びを過小評価しない。
小市民はそれでなんとか生き延びていくのです。