抑うつ感がひどくて気が滅入っているとき、体の様子を内観してみると、胸のあたりに強い不快感を伴っていることが多い。今回の禁煙が成功しているのはタバコを吸いすぎたときに生じる胸の違和感と、抑うつ感に伴うそれに似ているところがあると感じ考えたからだ。
すべての思考は脳内にあるはずだ、そして抑うつ感を不快なものであると感じる(考える?)のも頭の中の問題であるはずだ。それなのに陰鬱な心持ちのとき、心の本体は胸にあるような気がどうしてもする。
胸に心・精神が宿るというのは人間にとって変な考え方ではない。「胸の内を明かす」といういい方もあるし、心がときめいたことをマンガで表す場合、胸からハートマークが飛び出したりする。英語圏でも「ハート、heart」は単に臓器の名前以上の意味合いで使われる。
膝や肘に思考が宿る感じはまったくしないのに、胸にはそれが宿っている感覚が間違いなくある。強い不安感を感じたとき、その感覚の中心は胸部にあるとしか(少なくとも私には)思えない。
心臓と肺という毀損されたら直ちに生命維持に影響のある臓器が入っているので、それを守るために胸部に張り巡らされた神経には、脳内神経に準ずる働きがあるのではないだろうか、そんな仮説を立てたくなる。でもそんなことを書いた精神医学の本も心理学の本も読んだことがない。探せばあるのだろうか。