天空団地_404

You play with the cards you’re dealt… Whatever that means.

弥生独白

ブログの更新が減っているのは動画をつくっているからだ。1分から2分程度の動画をつくるのは楽しいが、10分を目指すと途端にハードルが高くなる。とりあえず作るのと「人様に参考になる役立つものを作る」のは全然違う。とはいえ、誰にも強制されているわけではないので、焦るのは馬鹿らしいのでマイペースでやっていくつもりだ。

仕事はコロナ前の2割減ぐらいで落ち着いた。あと2社ほど売上げのコアとなるクライアントがほしい。運任せなのはよくないので「動画を組み合わせたブログ」というコンテンツで開拓を目指す所存。

仕事があって、読んでいる本があって、週末に一つは予定があって、昨日より体調がよいのであれば、それ以上は望めないし、望まない。

好奇心の衰え

エヴァンゲリオンは観ましたよ。難解な内容を理解しようとする気が起きなくて、ボンヤリと最後までスクリーンを眺めていただけだ。Qの時点で内容を理解するのを止めたので異物を見つめていた感じだ。

「ウマ娘プリティダービー」という、ダビスタとアイドルマスター系のゲームを足して二で割ったようなゲームが、社会現象になるぐらい遊ばれている。一応ダウンロードしたけれど遊ぶ気にはなれない。ドラクエ11でさえ序盤で放置したままだし。

独りで働いていると加齢の実感がわきにくいのだが、確実に精神が萎えつつあるのが分かる。

俺が新入社員で入社したときの部長が今の俺と同じ齢だが、彼がアニメーション映画を観るとか、ゲームに興じるとか、あり得なかったものね。30年前の50代は明らかに「初期の老人」だった。タバコ臭く、もっと肌が汚かった。

2020年代における後期中年者はなにを嗜むべきなのか。いまのところよくわからない。

311雑記

東日本大震災から10年。現在と同様のシチュエーションで働いていて、隣室のテレビで津波が東北地方を蹂躙するのをリアルタイムで見ていた。

10年前は今よりずっと自分のことばかり考えていたのが、当時のネットの書き込みから推察できる。同じ日本人が塗炭の苦しみに喘いでいるのに3月12日にライブ鑑賞しているし。日記も他者や社会を気遣うことよりも、商売の売上げ減少ばかりをぼやいている。

社会が揺るいでいるときに、自分のことしか考えられないというのは、人として大変よろしくない。当時も身内に亡くなった人がいるのに救助活動に尽力した人、被爆に恐れおののきながら寝る時間を惜しんで、復興に尽力した人たちのおかげで、今の日本がある。

10年経って体が老いて、再び自分のことばかり考えるようになりつつあることは否定できない。せめて仕事を通して、関わりのある人に益をもたらすこと、年老いた両親に息子としてできることは、しっかりとやりたい。

仮眠の効用

午前中働くと午後には眠たくなる。昼飯が影響して眠くなるのかと、抜いてみたがやっぱり眠くなった。体力が落ちているんだろうな。自宅勤務の特性を生かして、無理せずに寝ることにしている。

メールの着信音の種類によって内容を判別できるようにしてあるし、枕元に電話の子機とスマホをおいていれば、出遅れることもない。一人で働くようになって5年ぐらいは、勤務時間中に横になることに強い抵抗があったが、今では躊躇なく布団に潜り込む。

15分ぐらい仮眠をとれたら、午後の仕事は逆に捗る。寝付けず抑うつ感が膨らむ一方の日は無理しないで諦めた方がよい。焦っても焦らなくてもアウトプットの質量に変化はない。

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悲劇には二種類しかない

  • It's too late.
  • I must go.

様々な悲劇を因数分解していくと二つ残る。「遅すぎた・手遅れ」「行かざるをえない」。これを組み合わすと悲劇・不幸の典型例を作ることができる。「配偶者を得られずに馬齢を重ねた。死ぬまで一人で生きて行かざるをえない。」「若いときに学習を怠ったので、生きていくためには単純労働を続けるしかない」「生きているうちに愛情を注げばよかった、孤独に耐えながら生きていくのは辛すぎる」「酒やタバコを止めればよかった、今では癌と闘うことしかできない」

我々が失ったものの価値を過剰に評価するのは、現在の困難さの理由が「何かの欠落」によってもたらされていると、短絡的に考えてしまいがちだからだ。

「遅すぎるってことはない、今からでも、ゲットした方がいい」などとアドバイスすると逆上する人がいる。「今、得られたとしても価値がない、失われた過去は戻ってこない」などと嘯いて、未来から見た過去である現在を腐らせている。これを繰り返して虚しい人生を積み重ねたら、悲劇的人生のできあがりだ。

「せめて10年前に・・・を始めればよかった、手遅れだ」などと10年後に後悔しないように、今を頑張るしかない。時間は等価であり、若き日々の時間と老齢での時間に本質的な差異はない。そんなことはないと強弁するのであれば、せめて未来から見れば価値が高いはずの今を腐らせる思考方法は止めた方がよい。