わかりました あきらめましょう。

私は進歩しない 旅をするのだ

悪いあの人

アドラー心理学は、メンヘラーかどうかを見分ける判断基準として、以下の独白的なテキストを一例として提示している。

悪いあの人 かわいそうなアタシ

一つは他責性、もう一つは自己憐憫である。この心情性癖がキツいのは間違いなくメンヘラーだ。

私がかわいそうなのは、悪いあの人のせいだ。という思考回路は当事者にとってはあまりにも自明なために疑うことがほぼ不可能である。特に病的な自己憐憫は悪意ある他者と見なした存在があってはじめて生じる。

このように原因と因果を極端に単純化すると世界の複雑さがまったく見えなくなる。因果について考察するのは人が人たる所以だが、原因を他者の悪意のみにフォーカスしすぎるのは精神病なのである。

なぜこういった極端な思考の単純化が生じるからといえば、揺らぐ自我の原因を自責しすぎるとアイデンティティが保てないからであり、その脆弱なアイデンティティは出発点に限ると、意識的か無意識的かは別にして他者に及ぼされた害悪が導火線になっている。幼少期に生じた不幸までを自責することは原理的に無理がある。(幼少期のトラウマさえ過度に自責してしまう別の心の病もある。しかし、ベクトルが逆であっても、実際は表裏一体で同じ病理だったりする。)

問題はその他責性に過度に執着してしまうことであり、その偏った心のありようが他者からみれば、精神が病んでいるというようにしかみえないという構図が、当人にはまったく自覚できないこと、これこそが病んだ心が当人だけではなく他者にまで害悪を及ぼしてしまう悪魔の構図なのである。

他責性がまったくない人間はいない。しかし他責性にアイデンティティを委ねすぎる心理構造は、メンヘラーたちだけではなく、社会的に困った人たちのクラスターに根ざす病理でもある。常に「わるい人」を探しては激昂している人はたくさんいる。ネトウヨとかブサヨとかもその範疇に属する。

そして皮肉なことに常に「悪い人」を探しては糾弾しているような人(達)は、他者から「悪い人」扱いされやすいのである。これが肥大化すると最悪の場合は戦争になったりする。極論をいっているわけではない。悪の認定がなければ諍いも戦争も始まらないのは事実なんだから。

自己愛と境界例 発達理論に基づく統合的アプローチ

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