天空団地_404

You play with the cards you’re dealt… Whatever that means.

誤解される勇気

侮られることが辛い、それ以上に誤解されることに我慢できない。10年ぐらい前までは、こういうマインドセットだった。侮られるのは、認めたくなくても、内心認めている劣ったところを馬鹿にされるわけだから、結果的に受け入れざるを得ない。

しかし人は「誤解に基づいて侮られている」と感じたときは納得しない。その状態に怒りさえ感じる。「誤解」というフィルターがあると己の「内面の愚かさ」を直視する苦痛を回避して、責任を他者に転嫁できるからだ。

誤解されていると思っているのはまず当人だけである。他者が誤解を前提に対象を認識することは背理そのものだ。(間違っていることを前提に認識するという文脈は矛盾を抱えている)

「誤解されている俺」を哀れむ自己憐憫というのは甚だ中二病的だ。そんなに誤解されていることを嘆くのであれば、誤解を解く工夫をすればいいのに、なぜか「正しく理解しない方が悪い」という結論になっている。誤解を解こうとしないのは、誤解というシールドが剥がれると露わになる「内面の愚かさ」を直視したくないからだ。卑怯だね。