ラベルの言葉 因果の言葉

言葉は呪いである。

悩みの全部とはいわないが半分以上は言葉があるゆえの苦しみだ。哲学者も宗教家もマインドフルネスの研究者も同じことを言っている。脳裏に不快感がよぎっても、それを言葉に変換しないかぎり悩みは形を持てない。単なる不快感として刹那に通り過ぎていく。言葉にしてしまうと不快感は連鎖的に増殖増大してしまう。言語化を意識的に止める。これが悩みを減らす第一の処方箋だ。

もう一つ処方箋がある。これは単に言語化しないよりも脳の負荷が少ないのでより効果的らしい。

それはレイヤーをもたない言葉でラベルを貼る方法だ。無理に言語化を拒むと、深層意識の下で言語化やイメージ化が進んでしまうことがあるらしい。それよりも時間軸をもたないラベルをペタンと貼れば、ゴミを分別して捨てるように心が整理整頓されるとのことだ。

悩みの多くはテキスト化している。負の思念ほど言語化しやすい。過去の怨念や未来への不安が結晶化したテキストの羅列はネットに掃いて捨てるほどある。僕の過去に書いたテキストの多くもそれだ。しかしそういう言葉の羅列を生成することによって、我々は僅かでも幸せになれるだろうか。とてもそうは思えない。それどころか自らの言葉が呪いとなって不幸が固着してしまう。

テキスト化された呪いを繰り返し唱えると、それは限りなく当人にとっての真実に近づいていく。しかし個人の中で捏造された真実なんて本人には有害無益だし、他人にとっては「知るかそんなこと・・・」で終わってしまう。この当事者にとっての偽りの真実と、他者のそれへの無関心の間に生じるキャズムこそ不幸の大きな要因かもしれない。

呪いのテキストを意図せず吐き出して結果不幸になるぐらいなら、意味のない言葉をこねくり回すより、ラベルをペタンと貼って忘れる方が健全だ。不必要な言葉を吐くぐらいなら黙っていた方がよい。そう考えるようになってブログの更新意欲が減じた。これはよい変化だと思っている。