感情としての愛憎は表裏一体であり、個人の総量は決まっている。そういう説がある。愛に満ちた人は憎しみを抱く余地が減り、愛の足りない人は憎しみでそれを埋め合わせる。そして、愛さず憎まずというのは原理的に不可能だという。
経験則に照らし合わせても、慈愛に満ちた人間が同時に憎しみに満ちているという事実に遭遇したことがない。常に怒っていて不機嫌な人が誰かに慈愛を注いでいるという事実も知らない。
注意したいのは「慈愛と渇愛は全く逆」ということ。与える愛と求める愛は別の感情だ。求めて得られない人は、それを憎しみの感情で埋め合わそうとする。そしてそれは醜い。
憎まずに渇愛の苦しさを癒やす方法があるのか。これは人間にとって切実な問題だ。ビートルズの有名な以下のフレーズが、その答えかもしれない。
And in the end
The love you take
Is equal to the love you make