2013-12-23 娯楽 雑感 コンテンツはいくらでも手に入る。多くの人が感動した作品はきっと面白いのだろう。敷居が高そうなソフトだって、気合いを入れれば深い感動が手に入るだろう。しかし、それを求める気力がない。ドーパミンの放出対象を求めて探索する若さが失せた。若いときと比べて鈍くなっているという自覚が気力をそぐ。恍惚を求めるのではなく、刹那の自我忘却さえできたらよい。そういう諦念が必要な齢になったのかもしれない。