天空団地_404

You play with the cards you’re dealt… Whatever that means.

Apple Musicを解約した。

サービス開始時から利用してきたApple Musicの利用を止めた。他社のサービスと比較してメリットを感じられなくなったからだ。今は3ヶ月月額100円キャンペーンのGoogle Play MusicとAmazon Musicを併用している。今はプライムサービス利用料だけで使用できるAmazonだけにするか、Googleを併用するか迷っている段階だ。
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解約の理由

  • 検索精度が悪い

iTunesの小さな検索窓をApple Musicの検索用に併用しているので入力がしにくい。さらに検索結果の質が悪い。著名ミュージシャンでもすべてアルファベットで検索しないとヒットしないことがよくある。Googleと比較して探したいアルバムや曲にたどり着くのに時間がかかる。カタカナ登録されているミュージシャンでもアルファベットで検索すると違う検索結果がでる。しかし、英字で検索したらより網羅した検索結果が出るわけでもなく、カタカナで拾えるミュージシャンは英字で拾えなくなったりして、検索の網羅性が著しくGoogleに劣っている。さらにいえばAmazonにも劣っている。

  • 圧縮音源のビットレートが他社よりも低い

他社は320kbpsなのに256kbpsと数値上は低い。この差異は聞き比べたら認識できないというのが各種ブラインドテストの結果でもあるわけだが、それでも大は小を兼ねるわけで、高速ネット環境が前提であれば圧縮率が低いにこしたことはない。

  • 手持ちの音源をクラウドに保存する場合、別料金が必要

Googleは手持ちの音源をスキャンして320kbpsのMP3としてクラウドにデータをすべて保存してくれる。Appleにも同様のサービスはあるけれども、それを利用しようとすると月額料金が倍になってしまう。これは明らかにコストパフォーマンスが悪い。

以上の理由で利用を止めた。世界規模でもApple Musicは伸び悩んでいるようで、どうやら近いうちに月額780円に値下げされるらしいとのニュースも目にした。iPhoneを利用していれば連携で利用のメリットもありそうだが、そうでない私のような利用者にはメリットが見出せない。

Google Play Musicを続けるかどうか

ラジコでラジオを聞く時間が激増した関係上、Amazonだけで良い気もする。ただ実質無料のサービスなので総合的に比較するとGoogleの方が優れている箇所が多い。プレイリストの曲順をドラッグ&ドロップで変更できる等、Google Musicの使い勝手は、利用すればするほど「意外と良い」ことに気づく。あと一月は月額100円で利用できるのでじっくり検討したい。

この世界の片隅に 感想

初日に観てきました。シンゴジラ・君の名は、と続けて当たりを見たのでその勢いです。客層の平均年齢が高めでした。私同様に男一人の比率が妙に高かった。

隣席の男性が終盤からずっと涙を流していました。そしてエンドロールが終わると拍手がわき起こりました。だからこれは相当良い映画なのだと人様の反応で理解しました。

私的には「世界観は素晴らしかった。しかし登場人物に感情移入はできなかった。」が率直な感想です。泣いていた人が少なからずいた作品に対して、私の鈍磨した感受性が反応しなかったいうことなのでしょう。細部まで矛盾なく丁寧に丁寧につくってある芸術作品というのが全体的な印象です。

絵画的もしくは絵本的な絵柄と作品の主題の間に距離を感じました。もちろんその距離感こそがこの作品のキモなのは理解していますが、個人的には戦争の悲惨さを描いた良質の絵本を一冊読了した以上の何かは残らなかったです。アニメながら現実以上に超現実的な世界を描き出した「君の名は。」と無意識に比較してしまったが故に、必要以上に描かれた世界が二次元に見えてしまい、私の感性の深いところまで感動が届かなかったのかもしれません。

能年玲奈(のん)のボイスは確かに嵌まり役と感じました。モノローグ中心の作品なので彼女が喋りっぱなしです。小野大輔だけは、知っている声ということもあるのか個人的には少しだけ作品世界から浮いているような印象。あと鑑賞した映画館の固有問題かもしれませんが、音響的に違和感を感じる箇所が少なからずありました。

以上、感受性が衰えた私のレビューでした。

この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック

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今日は手が空いているが、今週はずっと忙しかった。しっかり働いて夜はCivilization6をガッツリ遊んで風呂に入って寝る。そんな感じで充実の秋である。メンタルヘルスがずっと安定しているのに加え、背中の疼痛もなぜか影を潜めている。

最近は体調至上主義で、体調が良ければメンタルも必ずよい。こんな当たり前が当たり前なのは私の人生においては珍しい。自我の拠り所をすべて感情に委ねていたメンヘラー時代が終わったのだ。どういったときに心が病むのか、そして心が病んだときにどういう思考回路になるのか、それを客観的に理解できるようになった気がする。この「客観」というのがポイントで、真の客観は言葉だけでは構築できず、というか言語を超えた超越的客観のような何か(うまく言語化できない)こそが人生の本質であるという予感が内的に居着いた。

心が病む大きな要素は「原因私恨」という過去に関係のあった特定の誰かを恨むという「言語活動」だ。かならず「悪い人」がいて「可哀想な私」という関係性のもとに、怨恨のストーリーを日々脳内で更新し続けている。いまここにいる哀れな自分の原因を作った過去の誰かとのストーリーにアイデンティティをすべて委ねてしまう、それこそが「心が病む」の本質。

原因に固執した負のストーリーの無限アップデートを停止する。これを意識的に内面化すれば、メンタルヘルスはかならず良化する。この負の回路に手をつけることが、脳内物質のバランスを正す向精神薬を服用するよりも「効く」のだ。その手段としてのマインドフルネスは本当に使える「道具」だ。

加えて上記の負の回路を作動させないために体調を管理することが重要。体調が悪い故に不機嫌になっているだけなのに、わざわざ改竄が繰り返された原形を留めていない過去の記憶を掘り起こし、自分を慰めるつもりが自傷を繰り返してドツボに嵌まるというパターン、これを克服しないと生きることは辛くなる一方。

仕事に打ち込み、ゲームを全力でやり、掃除洗濯ごはん炊きを心を込めてやる。それが穏やかに生きる秘訣。・・・今はそんな結論。

平日の方が楽しい

最近休日が苦痛だ。仕事がある平日の方がよほど楽しい。なぜかと考えれば仕事をする限りたくさんの人とコミュニケーションをとれるからだろう。全国のお客様や現場の人と電話やメールで終日、人様と関わっている。休日にはそれがない。

僕は孤独嗜好が強い。それでも終日、誰とも関わらず街を彷徨したり、読書とゲームだけしていると鬱屈としてくる。あとなぜか体調がひどく悪くなる。やっぱり他者とのコミュニケーションは生きていく上の活力なのだ。そんな常識をアラフィフになって、やっと理解する相変わらずの私である。

形的には引きこもりやニート的なライフスタイルなのだけれども、やはり仕事をしているというのは心の支えだ。すくなくともビジネスをしている限り他者から必要とされているという感覚、それが今の私のアイデンティティである。

仕事のない引きこもりやニートはよく自我を保てているなぁ関心してしまう。