わかりました あきらめましょう。

私は進歩しない 旅をするのだ

Game Over Beethoven

クラシックのゴースト作曲問題が世間を騒がせている。正確にはクラシックではなくて現代音楽。クラシックとは時代の洗礼をうけて生き残った曲という意味だからだ。現代音楽がクラシックになるのには少なくとも半世紀は必要だ。だからの話題の曲も作曲者が誰かという問題を乗り越えて「曲としてはよい曲だ」ということで、半世紀後にもオーケストラの演目になっていたら、クラシックの仲間入りができる。

20世紀前半までは音楽といえばクラシックであり、音楽の才能がある欧州人はみな現在クラシックといわれる音楽の創作に励んだ。有名な作曲家の裏に数え切れない無数の無名作曲家や才能に乏しい音楽家が死屍累々と積み重なっている。現在残っている曲はその本当の上澄みに過ぎない。それにベートーベンの曲ならすべて素晴らしいわけでもなく、楽譜が残っているにも関わらずまったく演奏されない曲の方が多い。

クラシック音楽というのは「時代の洗礼を受けて生き残った曲への尊敬と畏怖」という前提がないと何も始まらない音楽だ。だから一度聞いて理解できない曲でも繰り返し聞いて良さがわかるまで頑張ることができる。

そういう名曲がたくさんあるのに現代において新たに交響曲を問うのだとすれば、偽りの権威や偽装された物語が必要となる。故に今回の事件はクラシック音楽といわれるカテゴリのややこしさと市場の狭さ故に、ある意味において必然的に起こった事件といえるかもしれない。

もちろん純粋に曲の良さだけがクラシック音楽になり得る基準なのかといえば違う。たとえばマーラーは出自がユダヤ人であるが故にユダヤ系が牛耳る音楽業界でプッシュされたから特にメジャーになれた側面はある。しかし、間違いなくいえるのは、名曲が見いだされるためには運も必要だが、いくら運に恵まれても曲自体に魅力がなければクラシック曲にはなれないということである。(マーラーは僕には難解だ・・・)


マーラー:交響曲第9番マーラー:交響曲第9番
(2010/10/06)
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 バーンスタイン(レナード)