天空団地_404

The words we give to others are often the ones we most need to hear ourselves.

不幸感の解剖学

不幸感というのは分解すると「身体的不快・不安・怒り」と分けられる。

「身体的不快」を感じたらそれを取り除こうとしても、完全には取り除けない。加齢すれば除けない不快の絶対量がどうしても増えてしまう。積極的に走ったりジムに通ったりする人もいるけれど、そこまでの意欲なんて平均的な凡人には発生しない。

「不安」は将来のボンヤリした不安(上記の肉体劣化と連関)、身内の健康(私の場合は老化が著しい両親)、経済的な不安(現在の稼業の継続性・将来性)、更に大きいのは「独り身の孤独由来の不安」だろう。これは意志の力で自分を励ましたり(適度なポジティブシンキング)、ある程度の諦念が処方箋になる。

「不安」に関しては私は脳内物質のバランスが壊れているので、些細なことで不安が閾値を超えやすい、これは抗うつ剤や抗不安薬の世話になるしかない。一度断薬を試みて酷いことになったので、メンタルクリニックとは縁を切ることが出来ない。

「怒り」に関しては他の不幸要素と比べると理性で制御しやすい。「怒りは精神的貧者の娯楽」という概念を知ってから不必要に他者に怒ったり、怨嗟を延々と持ち続けることからの回避に相当成功した。とはいえ完全に拭い去ることは出来ないけれども、「怒り」は人間の生存本能に直結しているので、必要以上に押さえつけると逆にメンタルに悪影響が出る。自分の内部から生まれる怒りも恐ろしいが、忌避すべきは「怒っている他者」だろう。彼らにどれだけ人生を汚染されたかと考えると後悔しかない。最適解は物理的に離れるしかない。説得したり隠喩的に批判するのも徒労に終わるし、負の影響が自分に跳ね返ってくる。

上記の回避方法

「作業に没頭」が不幸感全般から逃れられる。人は一度に複数の感情を持つことが出来ない。何かに没頭しているときは負の感覚から逃れることができる。

作業は実利も発生する「仕事」が一番効率がよい。働いていない人は人生の空疎を埋めることが困難だと観察できる。ゲームに没頭したり、怒りという貧者の娯楽にかまける人が多いようだ。

実利はないけれど生産的な趣味も忘我の手段として有効だ。こういったブログを書いたり、動画を編集したりするのも、集中している間は虚無感から逃れることができる。もう少し創出のバリエーションを増やしたいとは常々考えている。

あとは受け身の娯楽かな。動画の視聴・ゲームプレイ・漫画アプリの閲覧・読書等だ。ここ5年ぐらいはYoutubeの閲覧に膨大な時間を割いている。結果、活字を読む量が極端に減ってしまった。ゲームも嵌まっているソフトがあるときは楽しい(MegaBonkがマイブーム)ただ、受け身だと何となく空しさが残ってしまう。

まとめ

思いつくままに書き重ねてきたけれど、結局は健康を維持して、没我の時間を増やすことというありきたりな結論になる。もっと意志の力で我を忘れたいのだが、フッと心に闇が忍び込んでくることが多いのは、結局は「孤独」が人生の基盤としてしっかりと根を張っているからだろう😢

先日のビースティーズの写真を水彩画に変換に変換してみました ビースティーズ 2025年12月13日