世間の人が「常識」と思っていることに気づかない恥の多い人生を過ごしてきた。
今年の夏期休業、突入前にメンタルの調子が悪かったこともあり、見事なまでのノープラン。この時期、意外とイベントが開催されないし、何よりもクソ暑い。
というわけで、これまでの人生史上、最も何も無い連休だった。一応「新しい靴を買う」「ライブバーの店長と話す」「休み中の食材の買い出しに出かける」等々、思いつく行動をしたが、徹底的に怠く抑うつが少し復活してしまった。
「退屈って孤独のことだったんだ」と半世紀以上生きてきて初めて気づいた。 多くの人に失笑されそうだ。私は世間の常識になかなか気づけなくて、やっと理解したときには死屍累々と非常識の報いを散々と味わっていたってことが、やたらと多い。
私に限らず「コミュニケーションの絶対量が不足している人間は、世間の当たり前が分からない」ってありがちなことなのかもしれない。
最近のネット論壇では「世間の旧い常識に翻弄される人たち」を冷笑するコンテンツが溢れかえっているけれど、常識が上記たる所以は、それが長年の人類の培ってきたことだという積み重ねの上に成り立った重みがある。
それを「常識に囚われると真実が見えなくなる」なんて嘯いて賢いつもりでいると、常識の常識たる所以が殴りかかってくる。非常識だったと落涙したときには、既に被害甚大で、今さら常識に汲みしたくないってことになりがちだが、意固地になっても得るものは皆無だということに、今さら気づいたわけです。うくく
本日の生成画 怠惰な夏休みを過ごしたことを悔やんでいる女性
