自己に直接関わりの無い他者の問題で眠れない夜を過ごしたのは久しぶりだ。どれだけ自分のことばかり考えているのかということにもなり、それはそれで情けない。
付き合いが長くても全然相手の考えていることが分からない人間が一定数いる。大抵は一定時間会話を交わす機会があれば、相手の倫理性や思考の論理性は大枠では理解できる。昨日別件で書いたが性善説を採るなら、大抵の人間の深層には一定の通底する倫理観があると理解できる。そういう人たちが多数派だから社会が成り立っているともいえる。
理解できない相手を見下すという発想はない。理解の及ばないレイヤーの違う倫理観や論理を持っているかもしれないし、理解できないからといって相手を全否定しては生きるのが窮屈になる。
ただレイヤーが違うだけだと考えていると、単に倫理も論理も破綻しているだけということも残念ながらある。精神医学的立場からみると(厳密には医学用語では無いが)PSYCHO-PASSという属性の人たちだ。彼らは内面の破綻、それが言い過ぎなら不整合が表出しないときは魅力的に見えることも多い。成功したベンチャー企業のトップの半分以上はサイコパスというのが通説らしい。有名な人物ではイーロン・マスクが典型だろう。

あえてココで書いてしまうが、本人の言い分も確かめなければフェアで無いと考えて、チャットで少し会話をしたが、話が全然かみ合わなかった。最低限の倫理観はあったといえばあったが、それを自分自身が認めたくないようだった。恨まれて終わってしまうのは後悔すると考えて、穏便に話をまとめたが、もう関わることは無さそうだ。「もういい」「もうどうでもいい」を連発されたら話し合いにならない。終わったことだし、沢山の愉悦を与えてくれたのは事実なので、倫理的結論は放り投げて忘れることにしたい。
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