「心と体は繋がっている」というのは、ヨガなどでよく言われる基本的な考え方だ。体を整えることで心にも穏やかさがもたらされることもあれば、逆に心が元気だと体も軽やかに感じられる、そんな相互作用を指しているのであろう。
さて、ここで少し立ち止まって考えたいのが、「心」と「理性」の関係である。この二つを単純にイコールで結んでしまって良いものか、というのはなかなか難しい問題だ。一般的に、「心」は感情や直感、気分といった広がりを持つものとして捉えられ、一方で「理性」は論理的な思考や客観的な判断を担う部分、と考えられることが多いのではないだろうか。感情がどうであれ「1+1=2」という事実は揺るがないように、理性は客観性を保とうとする。この冷静さが、理性のとても大切な役割なのだ。
もし、「心(特に感情)」と「理性(論理的な判断)」を混同し、自分のその時々の感情を絶対的なものさしとして、そこから全ての物事を判断してしまうと、どうであろうか。これは、さまざまな誤解や、時には不必要な苦しみを生む原因になりかねない。自分の感情を唯一の判断基準にしてしまう傾向は、例えば、他者とのコミュニケーションでつまずきやすい人などにも見られることがあるかもしれない。
「心」には、言葉にしにくい感覚や、ふとしたひらめきのようなものも含まれる。対して「理性」は、言葉や数式、論理で説明できる範囲を指すのが一般的である。この二つの境界線が曖昧なまま、自分の感情的な部分だけを絶対視して、論理の通らない主張を声高に叫んでしまう人が、特にインターネットの世界では時折見受けられる。声が大きい少数派、いわゆるノイジーマイノリティとして、建設的な議論を妨げてしまうケースもあるようだ。
心(感情)と理性(論理)をきちんと分けて捉え、バランスをとるには、ある程度の知識や教養が助けになるであろう。いや、知識の量だけでなく、物事を筋道立てて考える力、つまり論理的思考力こそが、より大切なのかもしれない。
自分の感情だけを根拠にして常に語り、主張する人が増えてしまうと、社会全体で建設的な対話が難しくなってしまうのではないかと、少し心配になる。もしかしたら、話が大きすぎるかもしれないが、昨今世界各地で見られる政治の混乱や社会の分断といった問題の根っこにも、こうした感情論と論理のアンバランスが、何らかの形で影響しているのかもしれない…なんてことを考えてしまう。
