生涯忘れられないレベルの悪夢を見た。小学生の時に近くの林の中で祖母が処刑される夢を見たレベル(40年以上前だ)
記憶を定着させないように、いつものごとく文章には落とし込まない。で、目が覚めた本日、受注がゼロ、大抵締め切り間近に3,4本は受注が来るのだけれど沈黙。先日慢心したことを書きなぐった天罰なのだろうか(>_<)
受注の増減に一喜一憂することに飽きてはいる。
もちろん受注数=収入なので飽きてはいるけれど、不安と焦燥感は止められない。でもその不安と焦燥を糧に努力する意欲が湧き上がりにくい。
収入が増えても、結局は心の安定のために貯金したり、新しいデジタルガジェットを買ったりするだけなんだ。もちろん、収入が多いに越したことはないんだけどね。正直なところ、今の仕事を続けている一番の理由は、「自分が一番得意なことで、誰かの役に立てる」っていう実感があるから。これ、別に格好つけて言ってるわけじゃなくて、本当にそう思ってるんだよ。
存在を維持する理由
私の存在を大切に思っているのは両親だけだ。天涯孤独ではないし、ニヒリストを気取る気持ちもないが、趣味を共有できる知人は、同じものを楽しめて、話題を共有できるという相互関係に過ぎない。
今の職業に就くまで切実に求めていたもの
それは「対人関係に煩わされることなく一定の収入を得ること」これだけだった。サラリーをもらっていた時期は他者は怖いだけ。温厚で親切な人でさえ、閾値を超えると鬱陶しくて仕方がなかった。他者不信が酷すぎて適齢期に身近にいた綺麗な女性にもまったく関心がなかった。(正確には性欲は人並みにあったが、どんな女性であれコミュニケーションは負担でしかなかった)
このごろ/今ごろ
ほとんどの人間関係のストレスからは逃れられていて、使えるお金は全て自分のため。得意なことで仕事をしているから仕事ストレスも最小限。健康に気をつけながら安定した収入を確保することに集中すればいいはずなのに、なぜかやる気が出ない。むしろ大きな不安を感じて自分を追い込んだ方がいいのかもしれない、なんて贅沢な悩みを抱えている。
推敲無しで書き散らしている件
自覚はあります。さすがに、こうやって文章を書きなぐる意欲があるうちは、そのうちテンションも上がる状態にはあると、楽観視できる指標にはなる。うくく
先週のガス抜き旅行の動画
youtu.be
例によって無編修。サムネイルが妙に格好いいのはCanvaのテンプレートをそっくりそのまま利用しているからです(汗