人生を洞察することで、
私は幸せになるための道などないのだということを悟った。
幸せそのものが道なのだ。
今、この一瞬一瞬を大切にしよう。
認識可能な「自己の状態」というのは、刹那に現れる概念である。それは状況によって変化する。不遇な人間が幸せを感じたときと、恵まれた人間が不運に遭った瞬間。どちらが心地よさを感じているのかというと前者である。
禍福はあざなえる縄のごとし、白が幸せの色、黒が不幸の色だとしよう。生まれてから死ぬまで真っ白な人間はいないし、真っ黒な人間もいない。また人生において、最初から終わりまで限りなく白に近いグレーの人と、限りなく黒に近いグレーの人がいるわけでもない。
人生を単色の白色度で捉えることは間違っている。恵まれた人の最悪な瞬間と不遇な人の最高な瞬間、その刹那のどちらが白に近いといえば、後者だろう。離れてみれば黒っぽいから不幸とは限らない。拡大すると光に近い純白の箇所があるはずだ。
白っぽい箇所まで真っ黒だという人間が一番ダメだ。逆に黒い箇所があるからこそ、白が輝くと考えている人は、離れてみれば黒っぽい人生でも結構、幸せなのかもしれない。
幸福というのは目的地、到達地点ではない。暗闇に光を求めて歩く道にある。歩くことを拒む人間は実は光を求めていない。薄暗い黒っぽい世界に安住したいだけなのだ。
光を求めて歩き続けるかぎり、そこまで人生は酷くならない。酷い人生というのは歩みを止めて漆黒に向かって溜息を吐きつつ、その場所に留まる人間なのだ。