天空団地_404

You play with the cards you’re dealt… Whatever that means.

手持ちの悲劇

人は概して自分を悲劇の主人公にした手持ちの物語の二つ三つを持っている。負け組だけではない。客観的にみて幸せそうな人々も「私の被った悲劇」という持ちネタがある。

ダメな奴にとっては現状の言い訳のために、イケている奴にとっては現状の幸せの価値を底上げするために、手持ちの悲劇を胸中に保管している。そして、必要とあれば開陳する。

人生が上手くいっている奴の方が悲劇の使い方が巧みだ。逆に負け組は下手くそである。しけた輩の愚痴は他者との壁をより高くしてしまうだけだ。

有効活用するにせよ、役に立たない地雷であるにせよ、人はある時期までは悲劇を胸中の重要な場所に鎮座させている。

しかしだ。老齢に近づくとそれが大して有用でないこと、あるいは自分を不幸にする呪いのアイテムに過ぎないことが、だんだんわかってくる。そして、その気づきが早ければ早いほど、人生の後半戦が惨めにならなくて済む。

他人の悲劇は概して喜劇だ。我々は意地が悪いので己の悲劇にこだわる人に遭遇すると同情せずに、彼らが更なる不幸に陥ることを無意識に望んでしまう。ギャーギャーと泣きわめく糞ガキを張り倒したくなる衝動に似ている。

昔話を好む旧友よりも、美味い店を見つけたから一緒に行こうと誘ってくれる今の友達が尊い。競馬仲間なら、過去の名馬について延々と語るよりも、来週の重賞の予想を熱く語る野郎と酒を飲みたい。

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