過去の客観視
近年、精神的に安定している恩恵で、過去を客観視できるようになった。それまでの自分にとっての”過去”は「後悔と嗚咽の履歴」というスティグマ的な鬼子だった。現在進行形で「今ココ」を重視するマインドフルネスを体得しつつあるので、冷静かつ良い意味で過去を他人事のように概観できるようになった。
心神喪失後の社会復帰から(2001年~)
1年半のニート生活を続けたあとに復職した外資系の代理店は、与えられた職務をこなせば、あとはネットザッピングをしたり、私的なブログを書いても咎められない環境だった。それまでの職場と比較したら、精神疲労は無いに等しかった。それでもルーチンワークをこなす以外に何も期待されていないことや、手の空いた時間に遊んでいたことに罪悪感があって、結局うつ病は寛解しなかった。
その当時の私は、ネット上で愚痴りまくり毒を吐きまくっていた。その後、mixi日記に場を移しながらも、やはりネガティブなことばかり嘯いていた。それは、結局「自分に呪いをかける」愚行に等しい。ただ臨界点を超えると、自分に呪いをかける気力もなくなるようで愚痴の投稿数は暫減していった。どうでもいいマンガの感想を書き殴ったり、少ない収入を浪費し刹那的な日々が続いた。
その後の紆余曲折を経て、一人で働くようになり、レクサプロという神薬との邂逅もあったので、40代後半ごろから、精神状態が過去比で最高に安定している。ずっと狭いままだった交友関係も新たなフェーズに入ったようで、余生に少し希望ができてきた。仕事がらみでもフリクションをゼロにはできないにせよ、それ以上に信頼関係を結べた顧客も増えている。精神的に凪で、微力ながら万事に成長できている今の状態が続いて欲しい。
赤い実