責任と自己責任

ジークムント・フロイトの名言

ほとんどの人間は実のところ自由など求めていない。
なぜなら自由には責任が伴うからである。
みんな責任を負うことを恐れているのだ

弱い人間ほど責任転嫁する。「自己責任」という歪な熟語を多用する連中の本音は「自分は責任を負いたくない」だ。自己責任を追求する人間も追求されて憤慨する人間も「責任を負いたくない」という心理においては同質だ。

責任という言葉に既に「自ら負う」という意味が含まれるので、自己責任という四文字熟語にはトートロジーの臭いがする。これが多用されるようになったのは新自由主義思想の敷衍と関係がある。新自由主義のいうところの責任と、元来の責任という言葉の意味に乖離があるので、自己責任という言葉が使われるようになった。

元は「リターンを得たいなら、失敗のリスクも引き受けろよ」そういう文脈で使われた。しかし、最近では腐敗保守(ネトウヨ)の他者攻撃に頻用されるようになった。リベラルの正義を葵のご紋にした正義論の欺瞞に彼らは我慢できないのだ。本来は「社会保障の恩恵を受けるのであれば市民としての義務をしっかり果たすべきだ、それができないのに、弱者こそが正義だというのは厚かましい」こういう文脈で気にくわない対象を非難したいのに、前後を取っ払って自己責任という単語だけで論破したつもりになっている。

この単語を多用する人間が疚しいのは「他者に責任を問いながら、自分は責任を負う気が無い」という欺瞞を内包しているからだ。逆に「自己責任」という批判に過剰に反発するのも、やはり責任を負いたくないからだ。多少なりとも責任を果たしている自負があれば憤慨する理由はない。お互いに「己の責任を負わずに、人の無責任を糾弾している」と怒っている。目くそ鼻くそを笑うケンカは社会の片隅でやって欲しいのに、最近はこの論争のバリエーションがネットに瀰漫している。

などと無責任に嘯く私も自己責任w

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