原因ではなく、目的を問う

心理学の雑本に書いてあった

工場長が工員に仕事をさぼった理由を問いただした。

  1. なぜ仕事をさぼったのか?
  2. 仕事をさぼって何をしようとしていたのか?

設問の仕方が違うだけだが、前者は言い訳に終始して工員のモチベーションは下がり問題は解決されなかった。後者の問いに工員たちは(本当かどうかはともかく)仕事を阻害する要因を解決するためにやるべきことが未達だった。子どもが病気で気がそぞろで勤務時間中に電話を何度もかけてしまったと答えた。後者の問いかけをした工場長は問題解決を共に考え、家庭の心配がある工員には、有給を与え帰宅させてあげた。

結果、常に工員に行為の目的を問う姿勢を堅持した工場長の現場は生産性が上がり、工場長は工員たちに敬愛された。こういう逸話だ。原因を問いただすか、行為の目的を問いただすかという設問の仕方を変えただけで、工場の労働環境に雲泥の差がついた。

原因を問いただす内省もよくない。

人は原因を考え出すと「言い訳思考」にあっという間に汚染されてしまう。~のせいでこうなのだ、こうなったのだ。こういう原因追求思考は人を幸せにしない。この実験をした心理学者は結論づけている。そういえばアドラー心理学でも同じ文脈の指摘があった。

思考によって事後に見つかる言葉によって構築された「原因」は恣意的に改竄された毒に過ぎない。不愉快な原因という名前のテキストで頭を一杯にしても不幸になるだけで、問題はまったく全然解決しない。感情的な問題に原因を問うてはいけない、感情の目的を考えるように思考の癖を矯正しないと、自分で自分を不幸に陥れるだけのスパイラルから逃げ出せない。

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