「ちはやふる」の影響で百人一首が再び耳目を集めている。一応中学生の時に100枚を暗記した私としては嬉しい(だいぶ忘れたけれども)、好きな歌を紹介したい。
秋の夕暮れ系
村雨(むらさめ)の 露もまだひぬ 槇(まき)の葉に
霧立ちのぼる 秋の夕暮れ
中学生の時、一番好きだった歌です。ただの情景描写ながら、この歌が一番好きって人多いです。
寂しさに 宿を立ち出でて 眺むれば
いづこも同じ 秋の夕暮れ
今一番好きなのはこれです。これも秋の夕暮れで締めています。秋の夕暮れで終わる歌はたくさん読まれていますが、狭い場所から広い場所への視点を移動させて、寂しさを際立たせるこの歌の上手さは際立っています。現代人が読んでも理解出来る平明さもよいです。
豪放磊落と寂びの合わせ技系
花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは 我が身なりけり
「ふりゆく」は「古りゆく」と「降りゆく」の掛詞、桜舞う豪華な舘で老いを嘆く貴族という光景が目に浮かびます。
おほけなく うき世の 民(たみ)に おほふかな
わがたつ杣(そま)に 墨染(すみぞめ)の袖
貴族に生まれて出家して僧位のトップに立った慈円の歌です。
上の句の謙遜と下の句の決意と矜持を感じさせる対比が見事です。
自虐系
もろともに あはれと思へ 山桜(やまざくら)
花より外(ほか)に 知る人もなし
分かりやすいし、それでいて深い。「花」は「華(栄華)」との掛詞
わが庵(いほ)は 都のたつみ しかぞすむ
世をうぢ山と 人はいふなり
しかぞ住むの「しか」は「然か」と「鹿」の掛詞、「うぢ」は「宇治(地名)」「憂し」の掛詞。自虐の中にも矜持が伏流しているところが素敵です。
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