死を解する人はほんの僅かである。
人はふつう覚悟をきめてではなく、愚鈍と慣れで死に耐える。
そして大部分の人間は死なざるを得ないから死ぬのである。

死なざるを得なくなる過程において、どれだけの苦痛が待っているのか、これだけは原理的に経験しようがない、だからこそ怖い。死そのものは、毎晩眠りにつく瞬間を知らないように、静かに訪れるだけだ。寝て目覚めないだけという苦痛がない終わりであるならば、明日死んでも構わない。ほんとうにそう思っている。

僕には身近で親しくしていた人が死んだ経験がない。昨年逝った祖母に関しても、なんの感情もわかない。僕を不肖の孫扱いして、あからさまに無視を続けた人間にたいして、悲しいという感情が生じるわけない。それでも人の子ではあるので、父母には長生きしてほしいという気持ちは当然ある。半世紀近く生きて一番悲しかったのが猫の死だというのは、よい人生なのか。

俺が死んでも悲しむのは母ぐらいだろう。父だって怪しい。知人だって悲しむどころか、葬式に来てくれるかどうかさえ怪しい。

このようなつまらない人間に成り果てた責任は、やはり自分にあるのであって、他に転嫁しようがない。誠に遺憾に存じます。