オーディオは「大音量」でなければ意味がない
音楽好きとオーディオ趣味は大抵重なっている。しかし、オーディオ趣味というからには大音量で機器を鳴らさないと意味がない。機器による音質の差は大音量でこそ理解出来る。
小音量では機器の差異は分からない
数万円のAV機器と数十万~数百万のピュアオーディオの違いは大音量だと露骨にわかる。某オーディオ評論家が「高級オーディオの神髄は大音量にしても煩くならず、音楽の感動だけが拡大する点にある」と喝破していた。そのとおりだとおもう。よい音源を良いオーディオで聴く場合、ボリュームをグン回しても急激に音が大きくなったようには感じない。
一方、安価なコンピュータ機器付属の小型ピーカーや、低品質の音源は、音質を少し上げると急カーブで煩くなる。小音量でも音の明瞭さが保てるように低域と高域を持ち上げたり(ラウドネス処理)、音源そのものの音圧をメディアの許容限度ギリギリまで上げていたりする。
本当に良いオーディオ・音源だとかなりの大音量にしても煩くならない。音の大きさに比例して感動も大きくなる。繰り返すがピュアオーディオの楽しみの骨頂は大音量にある。
クラシック音楽は誤解されている。
音量の大きさで印象が変わる音楽の筆頭が「クラシック音楽」だろう。興味がない人にとってはBGMと良質の名曲・名演といわれる音源の差がわからない。音楽好きでもクラシックの面白さがわからないという人の半分ぐらいは音量が足りないのでは、私はそう疑っている。
特にモーツァルト
モーツァルトは一般には優雅でロマン溢れた心地よい音楽と理解されている。もちろんそういう側面もある。しかし、モーツァルトの名曲を大音量で聞くと違う世界が見えてくる。すべての音に意味があり、脳内神経の一本一本にダイレクトに訴える狂気じみた音世界が広がる。特にピアノ協奏曲や弦楽五重奏を大音量で聞くと「モーツァルトはパンクなのだ」という感激がある。
最小費用でオーディオ的快楽を得るには
これは「ハイレゾ音源」「USB-DACヘッドフォンアンプ」「2万円以上のオープン型ヘッドフォン」この組み合わせの費用対効果が高い。スピーカーを利用して部屋の空気を振るわせて感激を得るためには、最低限でも20万円強は用意しないと難しい。しかし、前者なら5万円あれば揃う。そしてモーツァルトの神髄を知って欲しい。
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