10年も一人で働いていると
ずっと組織で働いている人なら当然のこととしている気配りが出来なくなる。やるべき根回しが出来なくなる。発注者なのに受注者マインドで事を運ぼうとする。その結果としてのフリクションがたくさん生じた。反省するしかない。しかし不惑も終わろうとしているのに、おのれの無能を職歴に責任転嫁するのは情けない。素人がその甘さで非効率さを発揮して、周囲を疲弊させいないために、押さえるべき考え方があるはずだ。
責任の所在
私の根回し不足・認識不足で相手が混乱しているのに、先方は遠慮して、当方の何が問題で困っているのか、滞っているのか分からない。結局、スムーズさを欠いて混乱した状態に陥ってから、解決策を模索しなければならない。また相手の態度がこの業界では普通なのか、異質なのかも分からない。情報が無いからだ。いや経験が無いからだ。
目先のフリクションは全体の最適化に繋がる
個人的問題として直接コミュニケーションしている相手とは最大限摩擦を回避するように私は行動するようになっている。顧客商売をしている以上、こういった態度が身体化するのは仕方がない側面はある。しかし発注者と受注者という関係性を考慮しても、プロジェクト遂行のためには目先のフリクションをいちいち回避するのは、非効率の極みであり、気を遣いすぎた結果、後回しにされたり、能力の無い担当者をあてがわれたりする。身銭を切る以上、フリクションを畏れずに目指す結果を手に入れないと、本末転倒になってしまう。
プロジェクト成功の受益者は顧客である
もちろん発注者の利益を目指してプロジェクトは進められるわけであるが、顧客満足を得られなければプロジェクトはそもそも失敗である。目先のフリクションを畏れるあまり、本来一番大切にしなければならない、自社の顧客を蔑ろにしてはすべてが無意味に陥ってしまう。
結果として利益が増えればフリクションの負の遺産など直ぐに払拭できる
結局ビジネスなのだから、目的は利益だ。プロジェクトの帰結として利益が増えれば過程・工程のフリクションや混乱などすべて「済んだ笑い話」になってしまう。ましてや今回のプロジェクトは私財を捻り出した人生最後の大型投資である。ここで妥協して、いった他のどこで真剣勝負をすればよいというのか・・・