ザッカーバーグの御言葉
「目的」というのは、僕ら一人ひとりが、小さな自分以上の何かの一部だと感じられる感覚のことです。自分が必要とされ、そしてより良い未来のために日々頑張っていると感じられる感覚のことなのです。「目的」こそが本当の幸福感をつくるものなのです。
ほんとそう思う。しんどいのは己の快楽をひたすら追い求める生き方と、その表裏一体であるところの苦しみからとにかく逃れる生き方だ。個に撞着し肉体の快不快を幸福の度量衡にしている限り人生は苦しくなる一方だ。
卑近な私というレベルで考えても、すべてのお客さまは何らかの目的を達するために印刷を発注してくれるわけで、それに関わることは、確実に何かを達するための役割を「他者のために」演じていることになる。どんなに小さくても利他的行為は魂の安らぎに繋がる。
逆にどんなに小さくても、日々利己的快楽追求を日々の営みの中心においてしまうと、人は確実に病む。心を病むし、実は肉体も病む。自分を喜ばすためだけにやる行為は惰性になりがちだし、手を抜いてもそこから生じる不利益を被るのが自分なのだから、結局万事が雑になりがちだし、そのうち些末なことでさえ、着手するのが恐ろしく面倒くさくなる。
孤独が人を害するのは、行動が利己的にならざるを得ず、それが故に万事が雑で刹那的になるからだ。稀に利己的行為を嬉々として異常な行動力を伴ってやってしまう人がいるけれども、まず嫌われ者だし、最近ではサイコパスなんて命名もある。精神的な健康を失った人と見なされる。
さらに問題なのは、利己的行為の面倒くささが身に沁みてしまうと、利他的行為はもっと面倒だと勘違いしてしまうことだ。この間違った思考回路こそが、不幸な人をますます不幸に、怠惰な人をますます怠惰に、嫌な奴をますます嫌な奴にする悪魔の行動パターンにほかならない。
ニート・引きこもり・犯罪者・街の嫌われ者・孤独な人・いつも怒っている人・・・ 例外なく利他的行為ができなくて、人のために自分が何かをするなんて考えもしない輩ばかりだ。 みんな利他的行為が実は一番楽な生き方だとしらないだけなのだ。