断捨離ならびに片付けの魔法で不思議なのは、単にモノを捨てるお話が、いつしか「執着を断つ」みたいな教義に化けているところで、信者の人たちは、身の回りのブツを捨てることで、過去から自由になって煩悩から解脱できる的なことを言い出す。そんな簡単に人生アップデートできてたまるかよ。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2017年7月12日
Twitterを中心に「流行の断捨離って、社会インフラが日本のように安定しているのが前提で初めて成り立っている点が多大にあるので、あまり断捨離=倫理的に正しい的な空気はおかしい」という意見を中心に議論が沸いている。
どんどん片っ端から捨てても「必要になれば買えばいいし・・・」という気持ちを背後に隠していたら、それは確かに欺瞞だ。断捨離メソッドの本を読んでも「失ったら二度と入手できないモノ」は別物として捉えている。
断捨離ブームはマインドフルネスムーヴメントと通底している。雑念を瞑想によって追い払うように、居住空間からモノを無くしていく。売れている断捨離本は思想のバックボーンとしてマインドフルネス思想を利用している。というか都合の良い理屈だけをつまみ食いしている。
徹底的に捨てることに血道を上げている人もいるけれども、それって逆説的にモノにすごくこだわっているわけで、まして断捨離の成果を日々ブログにアップするなんて、いろいろな意味で本末転倒な気がする。それを商売にした人は頭がいいけれども、単に追随して嬉しがっている人って、深夜テレビの通販で乗せられていろいろ買っちゃう人とベクトルは逆だけれども、根っこは同じだとおもう。
もっとも断捨離以前の「捨てるべきモノを捨てていない」というのは論外だけれども、閾値を超えてモノを捨てようとする浅い人間とは、距離を置きたい。